第10回リフレクション

第10回 外国語活動Ⅰ リフレクション

①前回のリフレクションでは、” How are you?” ”I’m fine.“といった、授業の始めに行う挨拶を子どもができているからと言って、それがどういう意味を持つかを理解しているわけではないという指摘に、考えさせられた。自分がこれまでに受けてきた授業でも、始めの挨拶に限らず、活動やペアでの会話も、先生から指示があったから何も考えずに機械的に繰り返すということは少なくなかったと思う。附属小では、“How are you.”の返答のバリエーションが絵カードで複数用意されていたことによって、児童がそれをもとに、自分の今の状態にあったものを選んで発言することができていた。また、うるま市の小学校の実践では、サンタさんからもらいたいものを書く活動の中で、授業で紹介されたもの以外でも、自分が欲しいものを調べて書いている子どもがいて、子どもの「伝えたい」気持ちを先生がうまく引き出せているなと感じた。英語でのコミュニケーションの活動の際には、どのような目的で何のためにという目的意識をもたせることや、その会話を手助けするような手立て、そして何より子どもの「伝えたい」という気持ちにさせるような場面設定がとても大切なのだと思った。

テキストの内容ではいろいろな教具・教材の活用法の中の、絵カードの活用方法として「語順への気づきを促す」というものが面白いと思った。語順を取り扱う場合は音声で十分に慣れ親しんだ文であることが大前提だが、イラスト入りの主語(I)・動詞(like)・目的語(apples)のカードをそれぞれ英語で並べ替えた後、「日本語だとどうなるかな?」と考えてみると、中学の「主語の次に動詞がきて、その後ろに目的語…」というような文法的な難しい説明よりも、感覚的にわかりやすいのではないかと思った。また、絵や写真があること、場面が設定されていることなどは、わからない単語があってもある程度の意味を理解できることにつながると思ったので、自分が授業をするときにも効果的に取り入れられるようになりたいと思った。

 

② 今回の講義では、前回のリフレクションの振り返りとテキストの10章について話し合いをしたが、ALTに関する疑問の中でALTの研修があまりされていないということを知った。外国語活動が始まってから、長い間採用されてきているALT制度だと思うが、TTが言われるようになってからもALTの研修がされていないと良い教育効果が得られないと思った。特に、ALT=T1になりつつある現状の中で新しく始まる外国語科では、外国語活動から中学校の接続までの一貫した目標に向かうためにより内容の充実した授業が必要になると考えられるため、HRTとALTの協働が不可欠であると思った。

それから、小学校の外国語科の実践で“書き写す活動”の事例を見たが、「自分の気持ちを表現する」ことが大切といわれる中で“書き写す”ということは、ある程度の例示がありその中から“選ぶ”ことは表現することを制限することになるのではないかと思ったが、教員が教えてあげてもいいということで、私自身の疑問を解決することができた。

また、Teacher’s Talk や Small Talkでは児童が英語の音声に聞き慣れるためにとても大切だということがわかった。その中で英語を繰り返し表現に慣れることで、単語を認識させていくことができるということもわかった。

 

③まず、リフレクションシートの内容についての話し合いでは、私が前回の講義で疑問に思った、ALTの学習指導要領に対する認識について知ることができた。ALTは派遣されている場合が多く教員免許を持っていないことや、ALTが日本の外国語教育(の目標や内容)について学ぶ機会が不充分であることが分かった。公立実習で見させていただいた外国語科の授業では、ALT主導で授業が進み、逆に学級担任がALTの英語を日本語で補助するといった印象を受けた。授業づくりの過程は見ていないので、ALTと学級担任がどのようなやりとりをしていたかは分からないが、上述したようなALTの課題を教師が把握できていなければ、学習指導要領が目指す外国語教育との授業の間にズレが生じてしまう危険性もあると感じた。学級担任が、指導要領をしっかり理解することはもちろん、それをALTに伝え共通の認識を持つことは理想的ではあるが、教師の負担等を考えると現実的に難しいと思う。ALTの教育についてはこれからの外国語教育の課題であると感じた。

そして、教科書の内容では、教具・教材について主に扱った。小学校の外国語では、日本語を介してではなく、場面を介して英語を理解することが大切とされている。これを踏まえ、ワークシートに取り入れる絵を分かりやすいものにしたり、サンタにメッセージを書こうという場面設定から「want」の表現を引き出したりなど、教具・教材の工夫が重要だと感じた。特に、コミュニケーションに重きをおいているため、例えば誰かに手紙を書くことや手紙を読み取ることといったような他者意識を持たせることが大切だと思った。

 

④教育実習中

 

⑤今回の講義では、特に書くことについてのお話が多かった印象です。書くことについては、習った文法事項を用いて、伝えたいことを自由に書いて表現するというよりも、会話をするという意識のもとに覚えたり理解したりした音声を文字化するという意識が特に小学校では大切なのだと分かりました。音声で聴覚的に理解するだけでなく、文字で視覚的にも理解することによって、言語の理解はより深くなると思うので、そういう意味で文字は補助的なものとして取り扱うことを学習指導要領は示しているのだろうと思いました。書くことについては更に、四線がある意味についても分かりました。中一の始めのころ、英語を四線に従って書くように指導されましたが、四線のどこにアルファベットを置くのかということにばかり意識がいって面倒に思っていましたが、アルファベットを書き始めの子どもには四線があるほうが適していると分かりました(低学年のころのノートは5mm方眼になっているのと同じような感じですか?)。私が通っていた小学校では英語の授業が行われていて、時々書くことを行っていて、そのときには四線などが無かったため、自己流の書き方のようなものを身につけていたため、中学のころは書きにくく感じたのかと思います。 書く活動を行わせるときの四線をどうするかなどは、子どもたちが書くこと文字にどれくらい慣れているのかによって変わると思うので、子どもたちの様子をしっかりと見とりたいと思いました。

 

⑥教育実習中

 

⑦欠席

 

⑧今回の講義では、前回のリフレクションを読んでの感想と、テキスト10章の教材教具についての内容について話し合った。リフレクションでは、外国語の授業のALTや基地など外部との連携についての話が挙がった。採用されるALTに対して講習が行われず、学習指導要領を知らない状態で授業に参加している現状があり、その場合どうしてもALTをT2とせざるを得ず、せっかくの人材を最大限に活用しづらいという話や、米軍基地内の学校や施設との連携は、沖縄の政治的な活動にどうしても影響を受けてしまい、なかなか難しいという話をした。沖縄で教育を行う中でそれが壁になってしまうのは残念だが、配慮しながら出来るだけ活用できればいいなと思う。また、CBIを実際に行ってみたが失敗してしまった例などを聞き、様々な指導方法についても多角的に考えたり実践したりしなくてはいけないなと感じた。

テキスト内容についての話し合いでは、書く指導の話が挙がった。4線の幅や書き順に関しては様々な意見があるらしく、自分が教える立場になる際もどちらを使うかしっかり考えていきたい。また、語順に関しての学習で、単語のパネルを並び替える活動が行われていたが、非常に難しそうに感じた。書く指導に関しては、「十分に見聞きし理解したもの」をなぞったり書き写したりして、それから自ら書くというように指導していくと学んだが、新学習指導要領をもとに行われる外国語では、600~700語程度を習得するとされており、「書く」習得もその中に含まれているのなら、非常に難しく、工夫をしていかなくてはいけないと思った。そのためには、いかに「読む」「聞く」のインプットを多く行わせることができるかが大事になってくると思うので、「書くこと」への繋がりをしっかり意識して全ての授業を構成していけるようにしたい。

 

担当教員から⇒600~700語は全て書けるようにならなければならないという意味ではありません。

 

⑨今日の講義では、リフレクションや沖縄県の英語教育の歴史のお話し、教科書10章についての話し合いを行った。講義の話し合いの中でも話題となった、小学校外国語での「書く活動」について考えたことを書き、リフレクションしていく。

今まで英語にあまり触れる機会のなかった小学生にとって「英語を書き写す・書く」ということは、すでに当たり前に簡単な語句をスペルできる大人にとっての「英語を書き写す・書く」という感覚とはまったく異なる感覚なのであると思う。個人的に、カタカナやひらがな、漢字を書くことのできる子どもたちにとってとめ・はね・はらいなどもなく、バランスなども日本語ほど問われないとかんがえると、英語を書き写すのはそこまでむずかしくないのではないか?と思っていた。しかし、私たちがパングル文字やキリル文字、ましてやタイ文字やアラビア文字などを書き写すことは非常に難しい。写すことはなんとかできても、覚えたり予測して自分なりに生み出したりということは非常に難しい。そのような感覚を持ち合わせているこどもに大人の感覚で教材研究や活動づくりなどを行ってしまっては、授業内での情意フィルターを上げることとなったり「自分はできないんだ」という気持ちになってしまい、活動によって本質的なコミュニケーションの楽しさや喜びを感じないまま「英語が嫌い」という気持ちを作ってしまうということもあり得ると思う。わたしは、小学生のころに「鏡文字」がひどかった。小学4年生になっても治らないひらがなやカタカナが多くあった。そのため、国語の宿題などで赤ペンをたくさん見るたびに「わたしはどうしてこんなに国語できないのかなあ」と強い意識を持つようになってしまった。詩の発表会でも大きな紙に書いた自分の文字が間違えていないかということが頭によぎり、先生に詩を提出する前に何度も何度も母に確認したという思い出がある。その頃の私にとっては、情景を思いうかべて~とか思いを込めて~とかいうことなどはどうでもよく、「文字を正確に書くこと」がプライオリティで不安の種であった。詩を鏡文字など意識しなくてもあまりやらない大人になった今考えると不安が授業の本質的部分でないことやただ確認したら終わるようなことであると思っていたのだが、当時の私にとってはそれほど重大なことだったのかなと思う。外国語での書く活動を行う際はとくに、「このくらい」「こんなの」といった大人の自分視点での活動づくりをしてしまうとコミュニケーション以前の「威圧的な書く活動」によって英語嫌いの気持ちを(特に苦手な子にとって)生み出してしまいかねないと思った。そのため、音声に慣れ親しんで、書き写す練習をして、4線にも気を使ってなどの段階的なscaffoldingを丁寧に丁寧に行うことや書く内容・場面や目的づくりが大事なのかなと考えた。段階的で丁寧な指導が大切である一方で「書く活動」や得意な子が退屈になってしまう状況もまた生まれてしまうかもしれない。得意な子にとっても楽しい活動をおこなうためには、賢先生が提案していたように、「自分のこと」など思いや事実に基づいた内容を書かせるという場面設定などが重要なのだと思う。クラスの中には同じ質問に対して、「pet」を書きうつすのが難しいという子もいれば、「cash」と自分で書いて、笑いを誘うなどの意図をもてる余裕のある子もいるかもしれない。子どもたちの実態を把握して必要な手立てを行う必要がある分、学級担任は外国語の授業には必要不可欠な存在なのではないかと改めて思った。

 

 

担当教員から

 

〇今回も学生のみなさんのリフレクションから多くのことを学ばせていただきました。教員が児童に絶対に言ってはいけないことばがあるとすれば,私は「どうして何度言っても分からないの」だと思います。大人の私たちにとっては何でもないことでも,子どもにとっては,また,ある児童にとっては難しいことなのです。ハングル文字を習っている人にとっては,ハングル文字を書くことは難なくできても,習っていない私にとっては書き写すことは至難のワザです。子どもにとっては英語の文字も,そのように見えているかもしれません。

 

〇英語の指導法はいろいろあります。年齢によっても,目的によっても,学習者のレベルによっても異なります。当然,社会的な環境によっても変わってくるでしょう。教師が自分なりのbelief (信念)を持つことは構いませんが,それが,どのような経緯で創られてきたかは,あらためて見直す必要があるでしょう。国によって,学習法や,動機づけや,価値観も異なることでしょう。特に,来日して間もない外国人講師には,日本の英語教育について,しっかりと,丁寧に伝える必要があると思います。

 

〇小学校の外国語についても,いまだに,様々な意見が飛び交っています。教師の間でもそうです。だからこそ,いろいろな研究書を読み,また,現場の実状をつぶさに観察し,よりよい教授法を求めていく必要があります。自分のbeliefも一度見直すことも必要かもしれません。