第9回 外国語活動Ⅰ 授業リフレクション

第9回 外国語活動Ⅰ 授業リフレクション

 

①講義前半の前回のリフレクションでは、英語をカタカナで表記することについてどう考えるかや、実際に英語でのコミュニケーションをする際にはアクセントが重要だとの話が出た。英語のカタカナ表記については、英語の正しい発音を意識できなくなる点で良くないと思うが、学習に支障をきたすことにつながるのであれば、子どもが自分で聞こえたようにカタカナで書くのは良いのではないかと考えた。先生のお話にもあったように、音声で十分に慣れ親しんだうえで、文字の読み書きの指導につなげていけることがベストだと思ったが、他の学生の教育実習の話でもあったように、実際にどうしてもカタカナがないと厳しいという子がいた時に、どう対応すべきかは難しい問題だなと思った。

テキストの内容では、指導法についての話が挙がった。CBIは英語を使う必然性があるという点で、とても理想的だと思うが、教科内容と英語の両方ができる教員が求められてくるなど、現実的には難しい部分もあるという話だった。先生のお話にもあったように、各教科で学習したことと関連させて、部分的にでもcontent baseを取り入れることはできると思うので、自分が授業をするときにも、取り入れてみたいと思った。また、英語の必然性については、私自身これまでを振り返って、「英語」をコミュニケーションの手段というよりも、テストや入試のためのものとして捉えていた側面が多かったように思えたので、どのようにすれば子どもたちにその必然性を持ってもらえるかということがこれからの課題だと思った。テキストにも載っていた国際交流活動は、英語でコミュニケーションをとるという目的のための手段として、英語学習が位置付けられているという点でとても良いと思ったので、取り入れてみたいと思った。

 

②今回の講義では、前回のリフレクションの振り返りとテキストの8・9章について話し合いをしたが、前回の授業にいなかったため、“発音”や“アクセント”について知ることができずにとても残念だったが、日本語と英語では、同じ発音でも意味の違いを捉える際には、日本語は音の高低、英語はアクセントや長音で区別するということで、ここにも日本人が英語を学ぶ難しさがあると感じた。私自身も英語のアクセントには自信がなく、教師も十分に理解できていないと思う。また、カタカナ表記についても、賢先生が言っていたように、音声に十分に親しんでいないから英語のフレーズを覚えることができず、授業で繰り返し慣れることで覚えることができると思った。私自身も、中学校の英語で、新出単語が出る度に自分なりの英語の読み方を書き出して、大体の音の雰囲気がつかめるようにして英語を覚えた記憶があるので、子どもがカタカナで書きたくなる気持ちもわかるが、教師が繰り返し聞かせることで書き出す必要性もなくなるのではないかと思う

8章で出てきた「国際理解」「国際交流」については、沖縄では米軍基地や観光地であるという影響もあり、身近に外国人を感じることができるので、それを活かした英語のコミュニケーションを実践できる授業があってもいいのではないかと思った。賢先生が学生に聞いたように、“実際外に出て外国人とコミュニケーションを取るような授業をしたいか?”と聞かれた際には、私は即答で“やりたい”と思った。実際には安全面や引率での不安はあるが、児童にとっても今まで学んできた英語を試すことができる良い機会だし、児童同士ではわかってきたつもりでも、外国人相手にはどうなのか、言葉が通じないときはどのように伝えることができるのか、実践してできたことは達成感や自信にも繋がる活動になると思うから、やってみたいと思った。

 

③前回の授業観察のリフレクションを基にした話し合いでは、音声によるコミュニケーションを補助するものとしてのカタカナの取扱いが話題に上がった。みんなの意見を聞いて、子ども自身が聞き取った発音をカタカナで表記する分には構わないが、教師が始めから、カタカナで読み方を提示してしまっては、発音やアルファベットの適切な読み方に意識がいかないのではないだろうか。もちろん、目的によっては、カタカナが有効的である場合もあるだろうが、今回の講義で、カタカナを用いることでのマイナスの影響にも気づけたことは大きな学びであった。

そして、テキストの9章では、ALTと学級担任のティームティーチングについて書かれていた。そこでは、ALTと学級担任の両者が該当の授業について理解しておくことが大切だとある。ティームティーチングするにあたって授業の目標について共通の認識をもつことは大事であると思うが、外国人であるALTの先生が学習指導要領をどのように理解しているかも疑問に思った

 

④(公立学校教育実習中)

 

⑤今回の授業では、教科書の授業例が書かれている部分と6つのコミュニケーションの方法が書かれている部分を見て話し合いを行いました。話し合いの中では、英語を学ぶ必然性を子どもたちが感じられないと、英語は身につかないし、コミュニケーションのために英語を学んでいるという意識が無いから、実際のコミュニケーションが難しいといった意見がありました。実際、中高生になると、同じクラスの人と英語で会話をしようという活動になると、「日本語で会話できるのに、何故わざわざ英語で会話をしなければいけないのか?」という声が上がることもあるそうです。そうなると、やはり、英語を使う必然性が生まれる場面の設定が必要だと思います。附属小の実践のように観光地に行って外国人と話すという活動などは、その例としてとても適しているように思いますが、安全管理の面で少し不安に思いました。また、継続的に英語でコミュニケーションを行う機会を作るのであれば、地域にいる英語圏の人や、アメラジアンスクールに通っている同年代の子どもたちなどと定期的に交流する場を設ける必要もあると思います。国内でなら、まだまだ日本語が使えれば生活に不便はありません。そのため、以前の授業でも言われていましたが、英語を学ぶ動機付けが日本の英語教育では、なによりも重要だと思いました。

 

⑥(公立学校教育実習中)

 

⑨ 本日の講義では、教科書第8・9章についてのディスカッションを行った。今日のリフレクションでは、ディスカッションの中でも少し話題となったアクティブラーニングと協働学習について自分の考えを述べリフレクションとする。 教科書に「『主体的・対話的で深い学び』を実現することが主眼であってペアワークやグループワークを行うことがALではない。」という記述がある。わたしは、実習を通してただ単純にペアワークやグループ学習を取り入れて「発話させること」がアクティブラーニングではないということを学んだ。問題は「発話させること」よりも交流活動で交わされる情報や、相手から得た情報を踏まえて考えたり、自分の考えを広げたりするという「情報の中身」が重要なのである思う。高校実習で英語を担当した際に、毎授業,毎授業で「発話させること」を意識した授業づくりをしたつもりであったのだが、会話が弾まなかったり時間を持て余したりといったグループやペアが多く見受けられた印象であった。その際に何が原因なのかを考えたとき、これらの”コミュニケーション活動”は「発話させること」が目的となってしまっていて「情報の中身」が大切にされていないような中身になってしまっているのだと気付いた。ペアやグループ内でinformation gapを作り出すような自分事にできる発問などを行う必要があると感じた。小学校外国語活動でも、分かりきった自明の事実に対する質問のみではなく、意見や考えなど聞いて考えたりする活動の場面づくりがグループ・ペア活動を有意義なものにするのではないかと考えた

 

⑩今回の講義では、指導方法と指導技術のところで印象に残ったところがある。CLT(伝達中心の指導法)を授業で活用するという記述だ。例として、買い物ロールプレイで何の目的設定もなく10ドルで買い物をしようとしてもただ覚えた表現を繰り返すだけの活動になってしまうとあった。私が小学校の頃は英語の時間にゲームをすることが多かった。意味も分からずに繰り返して覚えた音を言うというものだった。毎回の授業の初めに教師が本日のあいさつを投げかけて児童が答えるというコミュニケーションの時間が設けられていたが、How are you?と英語の先生が言っては、アイとファインとその後にエンジュー?と言うと良いというルールがあるというように思っていただけだった。どんな気分の日も元気ですと答えていて,その上、次に先生が何か喋り出すのは、私が「あなたはどう?」と聞き返していたからだなんて知らなかった。知り合いのカナダ人にいつも先生が言うような音(Hello, how are you?)で話しかけてきたから同じように答えたら、「元気なんだね!ナイス!上手だね、わたしもゲンキデスありがとう」と言われたときに、場面の意味を理解した。その後中学校に入って文法で意味を知った。講義で話したことやこの体験からしても、本当のコミュニケーションにつながる授業とはどのようにすればよいか、難しいと改めて思った。

 

6月11日(月) リフレクション

⑨本日の講義では、山中先生の授業とそれに関するリフレクション、教科書第6章についてのディスカッションを行った。今日のリフレクションでは、ディスカッションの中でも話題となった英語の強勢についてと動機付けについて自分の考えを述べていく。

まず、英語の強勢について、強勢によって意味の変わってしまう事実やコミュニケーションを円滑にするためのものとしての働きを踏まえて児童に働きかけるということが求められる教師はとても大変だと感じた。しかし、small talkやその他の場面で行われるやり取りで生まれる生の場面での事象を通して考えさせたりすることができると考える。「教師⇆1人の児童」のやり取りを見ている児童らに生まれる気づきなどから学びに発展性があるのではないだろうかと思う。そのため、教師はそのような場面にでくわした時にとっさに学びについなげることのできる知識と余裕が必要なのではないかと思った。

賢先生の紹介した取り組みの中に、「書くことへの意味づけ(動機付け)」そして「書いたことへの意義付け(返事への期待感の創出など)」などのお話があった。特に小学校においては、読む・書く・話す・聞く全ての活動において意味のある動機付けを行うための場面設定がとても重要になると考える。しかし、場面をしっかり作った上で、把握させるために英語をしっかり聞かせて活動の場面を意識させるというのがとても重要で難しいのではないのかなと思う。山中先生や、その他の先生方のうまく聞かせる技術(Teacher Talk)というのはとても凄いなと思う。英語を聞く機会を増やすためには、教師が英語を使うべきであると思う。しかし活動を行う前に、理解しているかを見取ったり、足りない部分を補うために繰り返したりゆっくり伝えたりといった細かい配慮が必要だと思った

また、高校においては、興味関心の他に考えなければならない課題(社会の問題・世界の問題)があるとのお話があった。実習中にも生徒の興味関心と教材の内容とのギャップの大きさで教材研究が難しいといった部分が実感としてあったのだが、そのような教材の内容をいかに生徒たちの思考力や知的好奇心を生かして少しでも興味関心に持っていけるかというのが大切だということにも気づいた。教材について興味がわかなくても、思考を集中して行ったり、思考する行為そのものを楽しんだり、自分の意見と異なる・同じ他人の意見を知ること自体に喜びや楽しみを見出したりと高校生なりの取り組み方というものがあることを知ったので、いかに内容を通して思考し、表現し、交流するかという場面を作り、またそのような姿勢を涵養することの重要性もあるのかなと思った。そうすることで必要なボキャブラリーや文法も学習者自身が発見することができるのではないかと思う。

 

担当教員から

 

〇みなさんのリフレクションを読んで,私もとても勉強になりました。英語が読めなかったり,覚えられなかったりした児童や生徒が,英語の単語にカタカナを振ったり,英語の単語にカタカナを振るどころか,英語の発話を全てカタカナで書いている例を私もよく見かけます。必死なんだ,と思う反面,やはり,聞く活動が不足していると感じることが多いです。私たちが日本語を書くことを学び始める時には,ほぼ音声での語彙の習得は済んでいます。「山」という漢字を学ぶ時は,「やま」という音声に十分に慣れ親しんでおり,しかも「やま」がどういうものかを知っています。小学校1年生に「訴訟」などという漢字を教える先生はいません。「そしょう」というのを聞いたこともないし,「そしょう」の意味もわかりません。そのような状況で「訴訟」を教えるのは不適切ですし,無理です。

 

〇また,世界にはたくさんの言語がありますが,その音声を日本語の表記で表すことは難しいです。全く異なる音声体系を持っており,それを日本語の音声体系で表記することなど,もともと無理なのです。/th/の音など,日本語にはありません。ですから,カタカナで表記することが難しいということを伝える時に,実は日本語の表記ではその音声は表すことができないことを児童にも理解してもらうことが大切です。「カタカナはダメ」というだけでなく,なぜダメなのかを,英語の音声の特徴を理解させる意味でも,十分に気付かせたいと思います。

 

〇小学校の授業では,先生と児童にこんな会話が毎回のように行われています。

T:  Hello, how are you?

S:  I’m fine, thank you, and you?

T:  I’m fine too, thank you.

リフレクションの中に,『次に先生が何か喋り出すのは、私が「あなたはどう?」と聞き返していたからだなんて知らなかった。』というのがありました。分かっているようで,実際には機械的な対話になっていたのでしょうね。これは,言葉のやり取りにはなっていません。

 

〇ちなみに,私の娘が小さい時に,Hello, Bear! という絵本をよく読み聞かせていました。もちろん英語の絵本です。”Hello, Bear” とう言葉が繰り返し出てくるのです。日本語にすると「こんにちは熊さん」という感じです。ある日,私の友人であるALTのシェルトンさんが,私の家に遊びにきました。部屋の奥から出てきた娘がシェルトンさんに叫んだ言葉は,なんと “Hello, Bear!”でした。大笑いになりました!