第11回 外国語活動Ⅰ 授業リフレクション(2008年7月17日)

第11回外国語活動授業リフレクション

④今回の講義では、テキストをもとに評価のあり方や進め方について話し合った。授業前にテキストを読んで、評価が「学習者」と「指導者」だけでなく、「保護者」のためのものであるという記述が気になった。それはこれまで私が、授業での評価は「する側」と「される側」だけのもので、それ以外の存在はあまり重要でないと考えていたからだ。しかし、授業のなかで評価を「する側」の教師には、その説明責任があるということに気づかされた。児童たちの評価をつけるうえで、教師は「なんとなく」でそれを行ってはいけない。それを常に意識するうえで、「保護者」の立場もここでは取り上げられる必要があったのだと思う。

その他に評価につきまとう難しさが、この講義のなかでは主な話題になった。その評価の難しさは、実際に子どもの姿をうけて評価する「進め方」のことについてだけではない。それよりもっと前の、客観的で正当性のある評価の行うための方法や観点を設定する「あり方」の難しさについてもふれたのだ。評価の方法であれば、例えばより細かい評価を行うためには、それに相当する時間の確保の難しさや効率性などの難点がある。評価の観点においては新学習指導要領に沿った「知識・技能」、「思考力・判断力・表現力」、「主体的に学習に取り組む態度」の三観点についてである。評価規準の設定において前の二つの区別をつけることは難しい。指導案に記す際には語尾を「~がわかる。」と「~ができる。」というように書き分けるが、その前にくる内容を見分けるには何度もその都度学習指導要領を確認する必要があるだろう

⑤ 今回は、前回のリフレクション内容と、教科書の11章の内容について話し合いを行いました。 まず、リフレクションの内容については印象に残ったのは、ALTの研修についての問題は私達が生まれるよりも10年以上も前の1980年代から存在しているということです。もう35年以上も経っているのにその問題が解決されていないということに、ALTという制度自体の難しさを感じました。また、ほとんどのALTがJETプログラムの一貫で日本に来ているという話がありました。外国人に日本を好きになっている取り組みというのは、外交的に見ると素晴らしいのではあると思いますが、そこの価値ばかりを重視して、尊重するべき日本の将来を担う子どもたちの教育に差し障りがあってはいけないと思います。大城先生が仰っていた韓国のように、日本の子どもたちの教育に尽力してくれる人かどうか、ちゃんとその専門性がある人なのかどうか、しっかりと見極めることがとても重要だと思いました。

教科書の内容では、評価について話し合いが行われました。色々な種類の評価があって、単元に合わせてこれらの評価を組み合わせて行う必要があると分かりました。小学校の外国語活動・外国語科では、自己評価をよく見る気がします。小学校での筆記テストは、中学校での筆記テストとどう違うのか、また、現段階でどのようなことが行われているのか見てみたいです。

⑥前回のリフレクションの内容では、ALTの研修の話が印象的だった。ALTは大学卒であれば良いといったような採用基準がそもそも少しおかしいような気がしますが、そのALTへの研修等がほとんどないというのは、何の目的でALTを活用しているのかなと率直に思った。ただ子どもたちにネイティブな英語に触れさせる機会を与えるというだけの目的なら現状でよいと思うが、そこに教育としての役割があるならば、もう少し採用を厳しくしたり、研修を手厚くしたり、日本の外国語教育の目標や内容が100%でなくても、大体わかるようなものを学習指導要領とは別に発行したり等をすべきなのではないかと思った。しかし、先生のお話にも出てきた、日本の教員の研修もままならないのに、ALTにまで手が回らない、数年で帰ってしまうALTにお金はかけられない等という点も含めると、まだまだALTへの研修や日本の教育に合った教育をALTに行ってもらうのは厳しいと感じ、そのような点がこれからの課題であるように感じた

教科書の内容は、11章の評価について扱った。授業をする上で、指導案上に評価という項目を作り、書いてはいたが、まだ実際に評価はしたことがないためその大変さにピンとこないが、別資料の内容を読むと、評価は教員への負担が大きく、指導要録に時間をかけるならその時間を教材研究に充てた方がよいのではないかといったことが書かれていた。外国語活動も教科化に伴い、評価規準が変化したが、この評価の観点も線引きが難しいように感じた。国語と外国語では同じ学習内容であっても評価の観点が違うこともあるという。自分が教師になったらという目線で講義を受けると、教材研究をして授業を行い、授業で精一杯な状況でもその授業内で毎時間評価をし、評価を出す時期にはプラスして評価と指導要録を書き、と、多忙すぎ…と思った。 ALTに関しても、日本の教員に関しても、対策や課題が多いと感じる。

⑧今回の講義では、前回のリフレクションを読んでの感想と、テキスト11章の外国語・外国語活動の評価について話し合う活動をした。

リフレクションでは、前回に続いてALTの採用や講習についての話が多く上がった。JETプログラムでの採用のため2年しか働くことができず、研修に費用をかけることが躊躇われているということや、ネイティブのみで英語教育を行ったがそれを受けた子どもたちは英語嫌いになってしまう率が高かったということなど、様々な話を聞いた。外国語教育は他の科目と違い、小さなニュアンスの違いや発音、アクセントなど細かいところが、日本人が教えようとする際に壁となってしまい、どうしてもネイティブスピーカーによる教育がベストだと考えられてしまうのだが、日本の義務教育内で行う以上、英語教育も他の科目同様指導要領などの法規に則る必要があると思うので、ALTの採用の方法をそれに適したものに変えていく必要があると感じた。法規的な意味だけでなく、教育の質を向上させるという点でも、新たなALT制度の策定は必要不可欠だと思う。同時に、教員の養成課程や研修でもしっかり英語教育を作っていけるようにしなくてはいけない。

評価に関しては、評価規準をどう設定するか、内容とズレや矛盾がないことをしっかり確認しなくてはいけないことはやはり他の科目同様重要であるとのことだった。具体的なものとして、ルーブリックや振り返りシートなどを使って自己評価または他者評価を行い、子どもたちが自分自身や友だちの学びを意識的に振り返ったり観察したりする機会を与え、意欲向上を含めて成長を測るという方法を学んだ。また、今までの学校生活の中での英語の評価を思い出してみると、正しい文法や語彙を選んだり、長文を読んで内容を日本語訳したり、というような定期テストや模試で測られていて、「話すこと」に関しては学校の中で評価されることはなかったように感じる。書くこと等をあのような方法で測るのも小学校では特に適さないと思うので、私が中高で受けてきた方法とは全く違った形での評価をしなくてはいけないと思った。評価は指導要録などすべて記録されるものなので、しっかり根拠を持って行うようしたい。また、授業をつくる際には、子どもの実態や姿を意識したり、目標と学習活動を対応させたりすることに加えて、どのような場面でどのような評価を行えるか、ということも十分考えながら授業を構成していかなくてはいけないなと思った。なるべく多くの評価方法を学び、いろんな場面で多角的に評価ができるようにしたい

⑨今日の講義では、ALTに関するリフレクションの内容や評価についての話し合いを行った。授業を終えて特に評価について考えたことを書き、リフレクションとする。

外国語の教科化や学習指導要領改定などに伴い、外国語教育の評価は、評価方法の実現性や活動内容と新しい評価観点との整合性、場面や方法、指導と評価の一体化などの多様で複雑な課題もあるということがわかった。さらにこれらの従来の評価の難しさに加えて、説明責任のための資料作成などが教員への負担を増やしているということもわかった。評価は一体何のためにするのかと考えたときに、やはり児童生徒が自身の学びの状況を把握したり、教師が授業改善に生かしたりといったことなのかなと私は思う。その際に、評価の場面や方法などはもちろんだが、評価の伝え方も工夫を加えないと無駄なものになりかねないと考える。いくら一生懸命にフィードバックや評価を与えても、見る気にならなければただの形式になってしまう。伝え方の工夫もまた考えてみたいなと思った。さらに、評価基準に基づいたルーブリックの盲点を避けるためにも、評価に関して複数の教師が目標や評価方法・基準などを批判的な目を持って作成したり、共有したりといったことが必要になると思った

⑩今回の講義では、評価の大切さを学んだ。私はまだ、実習も行っておらず、現場を見た経験が少ないため評価規準の大切さや評価することの大変さを理解していなかった。教科化されるにあたって定められた評価規準も難しかったが、そうすると、私たちが受けてきた外国語活動では、何を規準に評価を行っていたのか気になった。また、賢先生のお話にあった、I like cat.と発言した児童が、定型文を暗記して言った言葉なのか、実生活と結びつけて様々な観点から思考した結果出た発言なのか分からないという場面からも考えられるように特に英語は、子どもたちの授業の様子から、評価を図ることがさらに難しいということがわかった。一人一人を一年間かけて見ている担任の先生でもその読み取りが困難だと思うため、評価の面から考えても、やはりALTの先生だけで授業することは良くないのではないかと考えた

 

<指導教員から>

〇先週末は,ある県の,夏期研修に関わる外国人講師を指導する講師の方々への事前研修をする機会がありました。日本の小学校の英語を説明するのは,なかなか難しいのですが,目的や内容を丁寧に説明したうえで,小学校担任教師に必要な研修を行って欲しいと思いました。

〇評価について議論しましたが,公平性(誰にとっても公平),かつ信頼性(評価者によってぶれない),妥当性(見たい能力を測るものとなっている),さらに実用性(実行することが可能である)の伴う評価をするには本当に難しいと思います。

〇大学入試は外部試験導入が決まっているのですが,私は期待半分,心配が半分というところです。学習指導要領の中身に沿ったテスト(思考力,判断力,表現力などを含めて)を,公平性,信頼性,妥当性,さらに実用性を伴って実施する方法にはかなり無理があるのではないかと考えています。評価の難しさに直面した時に起こるのは単純化,パターン化です。調べやすいテストにすればするほど,思考力の伴わない問題になる可能性が出てきます。スピーキングは人間が評価することになるのでしょうか,それともコンピュータがやるのでしょうか?人の言葉を理解するのは日本語でも難しい(?)のですが,さまざまな要因がからんでいるコミュニケーションという複雑な現象をどのように評価するのでしょうか。

〇現在,『AI vs 教科書が読めない子どもたち』という本を読んでいるところです。将棋に勝てるAIは創れても,人の言葉を正しく理解するAIを創るのは難しいようです。となると,言葉としての英語を評価するのは難しいかもしれません。文法力を測るだけなら,いかに簡単かが分かります。