日々の記録ブログ(2020年4月1日~)

2021年3月28日(日)全体会議(zoom)

2021年3月26日(金)全体会議(zoom)

2021年3月27日(土)放送大学卒業式。大学や中学校、高校の卒業式に何十回と参加してきましたが、これほど感動的な卒業式ははじめてでした。スピーチなどが良かったという意味ではありません。長い人で8年。仕事をしながら卒業証書を手にした皆さんの努力のあとが、卒業生の体中からにじみ出ていました。これほど卒業証書に重みがあるとは、この時まで知らなかったと言ってもいいと思います。

2021年3月21日(日)第8回コア会議(zoom)

2021年3月20日(土)神戸外大の友人達が沖縄を訪問。毎年、恒例になっています。私も一緒にリザンシーパークへ滞在。

2021年3月20日(土)長崎大学地域連携室主催研修会にて講演

2021年3月14日(日)第8回コア会議(zoom)

2021年3月13日(土)JES常任理事会(zoom)

2021年3月5日(金)浦添市英語教育推進委員会に出席

2021年2月22日(月)沖縄県国頭村辺士名小学校に勤務する卒業生(山里莉央さん)の授業を参観してきました。授業参観だけのつもりがいつのまにか校内研修になっていました(笑)。授業も満足のいくものでしたが、卒業生が現場の先生方にも本当に親切にしていただいていることが、とても嬉しかったです。

2021年2月20日(土)㈱学研プラス主催のオンライン研修課にて講演。二日続けての講演でしたが,同じ内容を2回することになっていたので二日目は楽勝かと思いましたが,何度やっても,自分が満足のいく講演はできません。力不足を毎回感じます。さらに精進したいと思います。

2021年2月19日(金)㈱学研プラス主催のオンライン研修会にて講演。

2021年2月18日(木)東京都足立区のオンライン研修会(録画)。上手くいかず,後日,自分で録画し送ることになりました。

2021年1月25日(月)福岡県大牟田市英語研修会に参加。オンラインでの授業参観と指導助言。なかなか大変でしたが,何とかやり遂げることができてほっとしました。

2021年1月21日(木)浦添市立内間小学校の武村美香先生の授業を初めて参観しました。こんなに授業力の高い人がいたにも関わらず,私はこのような先生がおられるのを今日まで知りませんでした。恥ずかしくなりました。これから1単元を通して参観させてもらえることになりました。楽しみです。

2020年12月21日 今日は,外国語活動Ⅱの講義がありました。前期の外国語活動Ⅰの授業を踏まえ学生が模擬授業を行い指導技術を習得していきます。今日はWhen is your birthday? の単元を扱った学生がいました。そこで「誕生日を聞き取る」活動を行ったのですが,学生は,なんと所属する実践学コースの先生方3人に動画に登場してもらい,自分の誕生日を言ってもらうという動画教材をつくっていました。もちろん,生徒役の学生にとっても,身近な先生の誕生日ですから興味を惹きつけられます。架空の人物の誕生日を聞き取る時とは全く違い,真剣に誕生日を聞き取っていました。突然,「佐久間先生は僕と同じ誕生日なんだ!」という声もあがりました。ホンモノを使うことが大学生にとっても「聞く意欲」を起こさせます。児童にとってはなおさらでしょう。実際,小学校では校長先生や教頭先生に動画に登場してもらったりすることがよくあります。授業者の学生もそれを意識したものと思います。また,私が嬉しかったのは,大学でもやっと教科間の連携のようなものができたことです。小学校の先生は教科を越えて学び合っています。しかし,大学の先生は教科を越えて学び合うということはほとんどありません。学生の外国語の授業づくりに道徳や,教育行政や,総合学習の専門の先生方が協力してくれたことは私には何よりも嬉しかったことでした。学生の模擬授業が大いに盛り上がったことは言うまでもありません。

2020年12月4日(金)沖縄県南城市の研修会で講話。久高島の離島からも先生が参加されていました。南城市の教育長は私が附属中学校の教員をしていた頃の同僚。私が尊敬していた先生でした!そして,今は,教育長。人とのつながりがずっと切れずにいることに本当に感謝です。

2020年11月25日(水)沖縄県浦添小学校の研究発表会に指導助言者として参加しました。小学校の研究発表会をオンラインで公開するのは県内初(?)と思います。私自身は浦添小学校の現場にいたのですが,参観者は全てオンライン!機器の操作も全て先生方が行ったとのこと。ICTに強い先生方がおられるのでできたのではないかと思います。小学校英語教育では沖縄県初の文部省指定の研究開発学校になった浦添小学校。当時の授業者が現在の学校長。授業も大変質の高いものとなっていました。

2020年11月22日(日)日本児童英語教育学会九州沖縄支部大会へ参加しました。久しぶりの対面での学会でした。感染予防策もしっかりととって行いました。オンラインもいいのですが,対面の良さも十分に感じることができました。

2020年11月9日(月)福岡県大牟田市明治小学校の校内研に参加しました。小学校英語教育の伝統校でもあります。素晴らしい授業が展開されました。

2020年10月23日(金)糸満中学校で阿波連美奈子先生の授業を参観しました。All English で授業が展開されました。それでも,生徒は抵抗感なく授業についてきていました。「慣れる」とはこのことでしょう。授業も目的・場面・状況が明確に設定された中での言語活動が展開されました。というより,授業自体が初めから終わりまで言語活動と言えるものでした。

2020年10月17日(土)鳴門教育大学小学校英語センター主催シンポジウムにて講演を行いました。先月に続くzoomでの講演でしたので少しは慣れました。

2020年9月29日(火)徳島県教育センターで講演を行いました。と言ってもzoomによる講演です。何が何だか分からない状況で終わってしまいました(笑)嬉しかったのは,zoomでの講演に至るまで指導主事の先生方がきめ細かな確認や機器チェックを行ってくれたことでした。残念だったのは「飲み会」ができなかったことです。徳島は何度も訪れているところで,気心の知れた友人たちも多くいます。zoomの講演が終わって画面がプツンと切れた時はなぜか淋しくなりましたが,心はずっと繋がっていることと信じています。

2020年8月29日(土)土曜日ということもあって教育学部の玄関広場はひっそりとしていました。夕方になり玄関口を出ると年配の女性が広場から教育学部の建物をじっと眺めていました。近づいてみると,なんと元教育学部の教授だったS先生でした。もう80歳を過ぎています。私が教育学部の学生だったころ,留学試験の面接をした先生でもありました。ミシガン州立大学の大学院をでられ,当時から西洋的(?)な雰囲気のある先生でした。退職後も何度かお会いする機会がありましたので直ぐにS先生とわかりました。大学在職中のことを楽しそうに話してくれました。今日は義理の息子の運転で教育学部まで来たということでした。80歳を過ぎてまで,かつての職場を眺めに(?)来ている姿に,私はとても感動しました。教育学部にも熱い思いがあり,また,素晴らしい教員生活を送ったものと思いました。さて,20年後,私はどのような気持ちでこの教育学部玄関広場に立っているのでしょうか。

2020年8月13日(木)今日で前期の講義を全て終了することができました。提出した課題へのコメントや評価をつける仕事がまだ残っています。学生の授業リフレクションを再度みていると,以下のようなものがありました。

 国語では「シ」を「si」と習っていたのに、外国語の時間では「shi」と覚えさせられて、「なんで?」という疑問を持ちましたが、先生はなぜそうなのかわかりやすい根拠を教えてくれず、もう投げやりで「シ」は「shi」と覚えました。でも、今日の講義を受けて「si」と「shi」の発音違いを知って納得できました。小学校の時の先生は、小学生に発音の説明をしても難しいからとかの理由で私たちに説明しなかったのかもしれませんが、子どものもつ疑問を解決してあげることも教師の役割だと思いました。

 教科としての外国語を小学校で学んでいない私は、どう子どもたちに授業を進めていけば良いのかまだしっかりと分かったわけでもないし、英語が得意でもない私に授業を行なうことはできるのか不安でした。でも、今日の先生の授業動画を見て英語が得意でなくとも、やり方次第で子どもたちは集中して、しっかりと学ぶことが出来ると知って、私も技術をしっかりと学ぼうと思いました。

前段と後段で分かれていますが,これは同じ学生が書いたものです。一見,関連性がないようにも見えますが,実は,かつての先生と,今の自分を重ね合わせているのかもしれません。小学校は今年度から教科としての外国語が始まりました。現場の先生方の圧倒的多数が外国語を教えることになるとは夢にも思っていなかったことでしょうう。しかし,教員免許法も変わり,大学のカリキュラムも変わり,これからは小学校を目指す学生たちは「小学校外国語の指導法」と「外国語」を必修科目として履修していくことになります。大学の責任が今後は問われてきます。免許は持っているのに「教えられない」とういことがないように,私もがんばりたいと思います。

2020年8月4日(火)昨日は前期の外国語活動Ⅰの期末テストを終了しました。今日は小学校外国語指導法の二クラスの期末テストを終了しました。メールでテスト問題を配信し,zoomで管理しながらのテストの実施でした。教科書,資料を見ながら解答してもよいようにしました。そうすると気付いたことがありました。知識・技能型のテストはできないということです。それでも,最低限確認しておくべき概念や事実などは教科書を見てでも,きちんと答えることができるようにし,あとは自分なりに考えて解答する形にしました。例えば,自分なりのスリーヒントクイズを作ったり,Small Talkの原稿をテーマに合わせて作らせたりというものです。授業ビデオを視聴させ,これまで学習したことを踏まえて,分析・コメントさせることもしました。なかなか苦労しましたが,テスト中は zoomのチャット機能を使って質問なども受け付けました。コロナ禍の中,テストまで漕ぎつけることができてほっとしています。あとは,講義時間が不足している外国語の授業を今週の木曜日に行い,来週(13日),テストを行えば前学期が終了となります。テストの解答用紙をメール添付で送ってもらいました。解答用紙と一緒に「先生の講義はZoomだったけど楽しかった」「とても勉強になりました」「毎回のリフレクションへのコメント,ありがとうございました」と書いてくれた学生もいました。真偽はともかく,教員にとって一番うれしいと感じる瞬間でした。やり残したことは多いのですが,学生が自分なりに学び続けることを祈るばかりです。

2020年8月3日(月)沖縄県では新型コロナ感染拡大を防止するための「緊急事態宣言」が出されました。琉球大学も警戒レベルが上がり,緊張感が走りました。私の前期の講義も結局最後まで対面授業ができませんでした(授業は来週までですが・・・)。学生と直接顔を合わせることなく講義を修了することなど,私の人生では初めてです。実際に伝えることは同じであっても学生と対話することの重要性を再認識しました。琉大の学長が学生へ向けたメッセージの中で「楽しく会話しながらの食事はヒト(ホモ・サピエンス)をヒトたらしめるものであり,人間の本質に関わる重要なもの。これをできるだけ控えるということは非人間的な要請である」とウエッブページに書いています。全く同感です。新しい生活様式では「食事をする時は話もしないで食事をしよう」ということですが,それでは動物と同じになります。人間だけが楽しめる会話があるからこそ,食事は美味しいものとなります。講義も対話があるからこそ楽しく,深まりのあるものになるのではないかと思いました。

2020年7月24日(金)JASTEC九州沖縄支部役員会のため佐賀市へ出張。いつもの仲間たちと楽しい時間を過ごしました。

2020年7月19日(日)あと少しで前期の講義も終わりです。コロナ禍の中,果たして講義内容を消化できるのか心配していましたが,学生のみなさんのおかげで全ての講義は予定していた内容をカバーできる見通しが立ちました。もちろん,みなさん自身が主体的に学んだかどうかが大切なことは言うまでもありません。私自身も健康が保たれて,最後まで講義をし,単位を与えられるところまできたことに安堵しています。いつものことですが,学期の途中で自分に何かあったら,みなさんの単位はどうなるのだろうと心配なのです。沖縄では暑さも厳しくなりました。最後のテストまで体調を崩すことなく終了することができますように,一緒に頑張っていきましょう。

2020年7月7日(火)午前中は小学校の授業参観。午後はネットカフェからオンライン講義を行いました。

2020年7月6日(月)午前中はホテルの部屋からオンライン講義。午後は小学校の授業を参観しました。

2020年7月5日  (日) 久しぶりの出張で宮古島に来ました。でも,ホテルで仕事していました。

2020年7月1日(水)中頭地区外国語スキルアップ研修会。講師として参加しました。

2020年6月27日 (土) 25年前に向陽高校で英語教師をしていましたが,その時に同僚だったALTの先生が沖縄に来ました。奥様と3人の子供達が一緒でした。なつかしさでいっぱいでした。

2020年6月23日(火)今年も巡ってきました「慰霊の日」。島全体が悲しみに包まれました。

2020年6月19日(金)文部科学省委託のオンライン研修動画の制作に関わっています。今日は2本の解説を撮りました。

2020年6月17日(水) 中頭地区スキルアップ研修会。講師として参加しました。授業ビデオが公開されました。中原小学校の新野志真子先生の素晴らしい授業動画が公開されました。

2020年6月15日(月)島尻地区小学校外国語スキルアップ研修会。講師として参加しました。久しぶりの研修会でした。三密を避けるため人数制限が行われました。

2020年6月13日(土)「海の見えるカフェ」で検索して出てくるカフェを巡っています。今日は自宅からも近い「mati-cafe」へ行きました。サンエーコンベンションシティの近くです。螺旋状の階段を上がったところにそのカフェがありました。海を見るつもりでしたが,その日は西日が強くブラインドが降りていました。ちょっと残念ですが,この西日の強さでは仕方がないと思いました。おそらくもっと遅い時間になるとブラインドが上がって夕陽が見えることと思います。二人ずれ(女子同士)のお客さんが3組ほどいたのですが,とても静かな時間が流れました。夜は高架橋を走る車の流れと夜景がマッチしてもっとよい雰囲気になるかもしれません。

2020年6月2日 開隆堂ウェッブマガジンに小中の連携について書いてみました。https://www.kairyudo.co.jp/contents/05_kyoiku/sunshine-forum2/09/index.htm

2020年5月31日(土)緊急事態制限が解除されてから最大限の注意をしつつカフェ巡りを再開しました。今日は夕方から,しかも天気も悪かったのですが,ザ・カリフキッチン沖縄(北谷町字美浜)に行きました。暫く海を見ていたのですが,ラッキーにも雨が上がり雲の隙間からきれいな夕陽が見えました。至福の時間が流れました。

 

2020年5月30日(土)「海の見えるカフェ」巡り2軒目は2月29日に訪れた「ちゅら海カフェかふう」(読谷村真栄田)でした。天気の良い日で絶好のドライブ日和。愛車の日産ティアナから見える海岸も最高でした。今日の目標は当然「海の見えるカフェ」で検索した場所。パンケーキがとてもおいしかったです。カフェと海岸の間に車道があるのが少し残念でした。

 

「海の見えるカフェ」巡り3軒目は3月8日に訪れた「クロワッサンCafeクイニ―」。カーナビを頼りに那覇市首里の住宅街を通り抜けると小高い丘にカフェがありました。東京で仕事をしている息子が久しぶりに帰省したので家族で行きました。自宅から20分で行けるカフェ。眼下には首里に抜ける高速道路。そして,与那原町の向こうには太平表が見えます。静かで,家族で,ゆっくりおしゃべりするには最高の場所でした。若い人たちにはデートスポットとしても最高かもしれません。

  

2020年5月24日(日)昨日は「海の見えるカフェ」巡りの4軒目でした。因みに第1軒目は2月23日に訪れた「浜辺の茶屋」(南城市)でした。ここは,まさに目の前が海です。満潮だとお店のすぐそこまで波が寄せてくるのではないかと思います。オリジナルコーヒーはとても濃くがあって,しかもマグカップで出されたので最高でした。順調に滑り出した第1回目でした。

 

2020年5月23日(土)緊急事態宣言が解除されてから初めての土曜日でした。今年の2月から「海の見えるカフェ」のキーワードで週末のカフェ巡りを試みてきましたがコロナ感染防止のため2ヶ月ほど中止していました。久しぶりのカフェ巡りで今日の午後は北谷町にある「トランジットカフェ」に行きました。カフェにはバルコニー席があって,まさにシールド無しで海を見ることができました。小雨がぱらついていましたがバルコニー席は大変気持ちが良く,いただいたピザもとてもおいしかったです。

 

2020年5月14日(木)第3限目は外国語のzoom講義でした。zoomは双方向が何よりの長所なのですが,学生のほうからはほとんど質問やコメントがありません。この状況は何とかしないといけないと思っています。

2020年5月12日(火)第3限目と4限目に初等外国語教育法のzoom授業がありました。ズームも慣れてきましたが,なんだか目が霞むようになりました。

2020年5月11日(月)朝1限目に外国語活動Ⅰのzoom授業がありました。いかにも起きたばかりという学生の姿もみられました。

2020年5月8日(金)今日は外出自粛の期間ではありましたが,持病の治療のため,連休前に病院へ電話をしたところ,診察が必要とのことでしたので,午前中,最大限の防御をして病院へ行きました。病院はいつもよりは人が少ない感じでしたが,徹底したコロナアウイルス感染対策がなされていました。そこで順番を待っている時の事です。この病院には外国人の患者も多いのですが,今日も80才ぐらいの外国人が車いすで来ていました。この車いすの外国人が一瞬車いすをバックさせたので,後ろのうちなーんちゅ(沖縄の人)にぶつかってしまったのです。うちなーんちゅも,その外国人と同じくらいの80才前後でした。Oh!, I’m sorry! という外国人に対して,そのうちなーんちゅの女性は,間髪を入れずに,しかもネイティブと聞き間違うぐらいの素晴らしい発音で That’s OK. I’m fine. と答えたのでした。終戦直後から米軍基地の中で働いてきた方なのだろうと想像しました。その後,隣にいる娘さんとは流暢な方言で,また,看護師さんとは,これまた流暢な日本語で会話をしていました。ずっと海外に住んでいたわけではなく,基地の中では英語を,必要に応じては日本語,家に帰ればうちなー口(沖縄語)をずっと使い続けていたのでしょう。明らかに海外に長期間住んでいて沖縄に戻ってきた人とは異なりました。 それぞれの言語や,その背景にある文化を生涯をかけて体験してきたのでしょう。まさしくグローバル人材のモデルではないかと思いました。もう白髪で覆われたおばあさんです。でも,彼女からは,オーラのようなものが出ていたことは言うまでもありませんでした。

2020年5月7日(木)この連休中に『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』(フレイディみかこ)を読みました。ノンフィクション本大賞を受賞した本でもあるので多くの人がこの本を読んだと思います。本の内容については言及しませんが,私はその本をとおしてイギリスには「ドラマ(演劇)」のクラスが,普通の教科としてカリキュラムに位置付けられていることを知りました。それは,みんなが役者になるためのクラスというより「表現力」を学ぶクラスのようです。また,英国の幼稚園などでは演劇的な指導を取り入れているそうです。怒った顔,悲しい顔などを見せ,例えば怒りを感じている時は怒った顔になることなどを教えているそうです。そうすると顔の表情と気持ちはリンクしていることが分かっていくそうです。私は素晴らしいと思いました。コロナウイルスの感染拡大が話題になってからテレビでは専門家会議のメンバーの先生方が説明する場面が何度もありました。素晴らしい頭脳をもった方々と思います。しかし,顔はマスクで覆っているのでよくわかりませんが,ほぼ無表情で話しています。そして,その人の気持ちが全く伝わってきません。日本もドラマのクラスを導入する必要があるのではないかと強く感じました。ちなみに,私は米国留学中に「演劇」のクラスを取りました。学生は役者になるためではなく,おそらく「表現力」を磨くために,そのクラスを受講したいたのだと今頃になって気付きました。私が「演劇」を取った理由は密かに Drama writer を志していたからでした。

2020年5月7日(木)学生のみなさま,新型コロナウィルス感染拡大防止のため,Stay Home にご協力いただいていることと思います。ありがとうございます。さて,本学の世界展開力事業を推進しておられる国際地域創造学部の石川先生より、本学の提携校学生とのメッセージ交換のご提案を頂きました。新型コロナウイルスが世界的に拡大しているなか,このような事態だからこそ,世界の学生たちと,ぜひ,メッセージの交換をしてはいかがでしょうか。やり方はとても簡単です!興味のある学生はご連絡をお願いします。

2020年4月30日(木)今週は月曜日に1コマ,火曜日に2コマ,そして本日1コマのZoomでの講義がありました。私も学生もだんだんzoomでの講義に慣れてきました。講義が終わると画面に表れていた学生の姿が,少しずつ消えていきます。なんだか寂しい気持ちに襲われます。学生どうしも,そのような気持ちになるらしく,最後はお互いの元気を確認し合う場ともなりました。画面上であってもお互いに声を掛け合うことは,やはり素晴らしいことだと思いました。しばらく講義から退出していく学生の姿を見ていたのですが,最後まで残った学生がいました。そこで,ちょっとした個人的な話をしました。短い間でしたが,人と会話をすることは,心がなごみます。琉球大学の学生は半分以上が他府県からの学生です。一人でいる学生のことを考えると心配になります。いつも誰かと繋がっていることを願うばかりです。

2020年4月30日(木)今週は月曜日に1コマ,火曜日に2コマ,そして本日1コマのZoomでの講義がありました。私も学生もだんだんzoomでの講義に慣れてきました。講義が終わると画面に表れていた学生の姿が,少しずつ消えていきます。なんだか寂しい気持ちに襲われます。学生どうしも,そのような気持ちになるらしく,最後はお互いの元気を確認し合う場ともなりました。画面上であってもお互いに声を掛け合うことは,やはり素晴らしいことだと思いました。しばらく講義から退出していく学生の姿を見ていたのですが,最後まで残った学生がいました。そこで,ちょっとした個人的な話をしました。短い間でしたが,人と会話をすることは,心がなごみます。琉球大学の学生は半分以上が他府県からの学生です。一人でいる学生のことを考えると心配になります。いつも誰かと繋がっていることを願うばかりです。

2020年4月23日(木)本日からZoomの講義を始めました。いろいろと不具合もありました。でも,きっとうまくいきそうな気がしています。今回の遠隔授業は学生に「自分で学ぶ力(自立した学習者)」がついているかどうかが試されているような気もしました。メールでのやりとりも多くなり,対面授業よりも時間がかかりますが,楽しみでもあります。

2020年4月19日(日)日本政府のコロナ対策の遅れが批判されています。今朝のサンデーモーニングでは,韓国などで上手くいっている方法をなぜもっと早く日本も取り入れることができなかったのかという話になりました。関口キャスターのコメントは「政権側に謙虚さがなかったからではないか」というものでした。つまり,「他の国から学ぼう」という謙虚な姿勢が,今回の件に限らず,現政権にはなかったということでした。私自身はこれまで多くの現場の先生方と共同研究や授業研究などを行ってきました。その経験を通して感じるのは謙虚な人ほど伸びていくということです。それは決して自分の考えを持っていないということではありません。むしろ謙虚な人ほど自分自身の考えを持っているというのが私の実感です。力を付けていくのはいいことですが,いつの間にか,他人の授業を批判ばかりする人,自分ならこうすると豪語する人,他の授業者の授業は腕を組んで壁にもたれて観ている人になっていきます。そして,最後は,自分を誰も評価してくれないと文句を言い始めます。本当に残念だことだと思います。実際,謙虚さを失わなければ,周りの人はもっと助言もして,もっと伸びる機会を用意するはずです。謙虚さを失わない人は伸び続けていますし,みんなから好かれています。そのような先生が,実は,私の周りには多いです。幸いなことだと思います。もちろん私も謙虚さを失わないようにしたいと思います。そして多くの先生方と謙虚に学び合いたいと思っています。

2020年4月18日(土)中学校の国語の時間に「奥の細道」の序文を暗記させられました。「月日は百代の過客にして,行きかふ年も又旅人也。船の上に生涯をうかべ,馬の口とらへて老いを迎ふる者は,日々旅にして旅を栖とす。」ほとんどの人が,この序文を暗記させられたことと思います。なぜか,今日は,この序文が私の頭をぐるぐる回り始めました。再び,この序文をネットで調べて読んでみると,中学生の時には感じることのできなかった感情が湧いてきました。後半は「春立てる霞の空に 白川の関越えんと,そぞろ神の物につきて心を狂わせ,道祖神の招きにあひて取るもの手につかず。股引の破れをつづり,笠の緒つけかへて,三里に灸するより,松島の月先心にかかりて,住める方は人に譲り,杉風が別墅に移るに,・・・」そして松尾芭蕉は旅に出ます。なんと,その時の年齢が45歳です。人生50年の時代だと考えると今の私の年齢ぐらいということになります。老齢になって,なお旅に出て自分を磨こうとするわけですから驚きです。私は退職の齢になっても,まだ,何もわかっていません。芭蕉にならってもう少し勉強してみたいと思いました。

2020年4月15日(水)昨年のことです。私がかって勤めていた学校の退職した先生方の懇親会がありました。かつての同僚が集い,昔話に花を咲かせます。そこでは各自近況の報告があって私の番が回ってきました。私は「仕事が趣味で生きてきましたが,いよいよ今年度で退職です・・・」と挨拶を始めました。するとすかさず「嘘だろ。仕事が趣味な人はいないよ」というヤジが飛びました。かなりお酒も入っていたからだと思います。しかし,私はかなりショックでした。私自身は,もちろん仕事がつらいと思うことがなかったわけではありませんが,「仕事は趣味」と言ってもいいぐらいに楽しいものでした。大学での講義も楽しかったし,現場に出かけて行って授業を参観することも好きでした。また,研修会や,学外でのプロジェクトなどに関わることも嫌いではありませんでした。退職して,どうして仕事が趣味のように思えたのか考えてみると,研究が好きだったこともあるかもしれませんが,仕事が終わった時の「ありがとう」の一言があったからかもしれません。人は自分のためだけに生きていくことはできず,なにかしら社会や人のために役立っていると感じる時ほど「生きがい」を感じることはありません。また,チームで苦しい思いをしながら原稿を書いたり,プロジェクトを練ったり,実際に研修を行ったりして得られる充実感とチーム感(?)は,やはり最高でした。人の人生は人それぞれだと思います。それでまったく構わないと思います。でも,私に「嘘だろ」とヤジを飛ばした先生は,どのような気持ちで教壇に立っていたのだろうと思いました。私は身体には無理をさせてしまったのですが,自分の好きなことを仕事として与えられたことは幸いだったと思っています。

2020年4月14日(火)退職したと言っても,4つの原稿と2つの編集作業があり,なかなか休めない日々が続いています。でも,少しずつ完成していくのを感じて,今日は嬉しい気持ちになりました。

2020年4月1日(水)昨日,16年間お世話になった琉球大学を退職しました。退職にあたり「おめでとう!」の祝意を多くの方々から頂戴致しました。「退職おめでとう!」と言われてなんでおめでたいのかよくわかりませんでしたが,考えてみると,定年まで勤められたということは本当におめでたいことであったと今日になって初めて分かったような気がしました。