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2023年8月31日(木)沖縄はバスケットのワールドカップで盛り上がっています。ワールドカップにあわせて(?)岸田総理も来県しました。前後して辺野古基地の設計変更を巡る訴訟で沖縄県の敗訴が確定しました。県民の多くが反対しているのに辺野古基地建設が進んでいきます。せっかく岸田総理が沖縄に来ているのに玉城知事との面会はありませんでした。双方とも会う気がないのでしょうか。敵対しているからこそ,会って話をすべきだと思います。なかよしと話し合うのは楽しく,話しやすいものですが,意見が合わない人と話すのは難しものです。先日は日・米・韓のなかよしの話し合いがありました。なかよしどうしの話し合いは楽ですね。でも,日本は中国とも北朝鮮ともロシアとも話し合おうとしません。批判ばかりです。福島の処理水の海洋放出では中国の批判を浴びました。今朝のテレビニュースでは,中国人観光客も来日を取り消している人もいるそうです。日本の海産物の不買運動も起こっているということでした。お互い批判し合うことだけをやってきているので,当然と言えば当然です。岸田総理には敵と話し合うことをもっとやって欲しいと思います。
2023年8月3日(木)ホテルをチェックアウトしてからはスタバに入り『氷点』の続きを読みました。午後になって神戸空港へ移動し,出発までの時間も『氷点』を読みました。沖縄行の便は,台風が沖縄から少し離れたこともあって,運航することになりました。飛行機の中でも『氷点』を読み続け読了。続きを読みたかったのですが(下)は購入していませんでした。購入しなかったことを飛行機の中で後悔しました。
2023年8月2日(水)本日のピーチ便で沖縄の戻る予定でしたが,沖縄が台風のため,沖縄行の便は早々と欠航つうちが私の携帯に入っていました。神戸の友人のKにお願いして別の便を押さえてもらいました。まず,今夜の20時過ぎの便で,神戸に飛び,そこで一泊し,台風が沖縄を離れる18時過ぎの便に搭乗するという計画です。上手くいくかどうかはわかりませんが,今日はとりあえず,札幌で過ごすことになりました。三浦綾子文学館で『氷点』を読みたいと思っていましたので,札幌駅の近くにある宮脇書店で『氷点(上)』を購入しました。近くにスタバで読み始めたところすっかり夢中になってしまいました。気が付くと15時を回っていました。飛行機の時間はまだまだでしたが,札幌でやることもなく,空港へ移動し『氷点』を読み続けることにしました。20時過ぎの神戸行は予定どおり運航し神戸には無事に到着しました。
2023年8月1日(火)昨日からの天気が打って変わって旭川は絶好の登山日和となりました。迷うことなく旭岳へ向かいました。夢にまで見た旭岳。登山口に到着するまでのケーブルカーからは深い緑の森林が見えました。しかし,ケーブルカーの到着した登山口から上は木は一本もありません。ゴツゴツした石ころ道が続くばかりです。山頂まで行くことはできませんでしたが,旭岳の美しさを堪能することができました。登山の後は近くの日帰り温泉で汗を流しました。ここがまたとても良かったです。その後,富良野で布部駅(「北の国からのロケ地」)に立ち寄りました。空港へ向かう途中で富良野のマイルドセブンの木やパッチワークに見える畑などを見ました。レンタカー会社に着いたのは18時過ぎ。レンターを戻して空港へ向かい,メンバー全員で最後の食事(ラーメン)をしました。私は,沖縄行の飛行機がないので,明日戻ることにしていました。メンバーを見送ったあとはさびしい気持ちで一杯になりました。
2023年6月31日(月)層雲峡は朝から雨でした。エレベーターの壁には「クマ出没注意」の張り紙。リーダーの判断で黒岳登山は断念しました。雨に濡れてでも登りたいというのが素人の私の考えでしたが,リーダーの判断は正しかったと思いました。層雲峡の近くには層雲峡渓谷がありました。石板を立てたような岩からいくつもの滝が流れ落ちていました。層雲峡の後は,北海道の素晴らしい景色を堪能しながら旭川へ向けて車を走らせました。旭川では三浦綾子記念館に立ち寄りました。『氷点』は高校生の頃に読んでいましたが,内容はほとんど忘れていました。記念館は立派で,改めて三浦作品を読みたいという気持ちになりました。近くには『氷点』の舞台となった見本林がありました。見本林の中も散策しました。
2023年6月30日(日)登山メンバーと一緒に札幌を発ち富良野へ向かいました。富良野のラベンダー畑はラベンダーは既に終わっていたのですが観光客で一杯でした。以前に家族で訪問したことがあり,その時のことを思い出しました。ラベンダー畑のあとはドラマ「北の国から」のロケ地を訪問しました。「北の国から」の放送が始まったのは1982年。私が中学校の教員になりたての頃でした。学校の仕事に慣れるのに精いっぱいであまり視聴してはいなかったのですが,それでもドラマのシーンが蘇ってきました。その後,明日の黒岳登山を目指して層雲峡へ移動しました。層雲峡の宿(銀泉閣)にはコインランドリーがあって助かりました。北海道は思いのほか暑くて準備した服を頻繁に着替えていたので,もう着る服がない状態でした。
2023年6月29日(土)旭岳登山のメンバー全員が合流するのは18時の札幌ビール園。それまで時間があったので友人Kと余市のニッカウィスキー博物館へ行きました。NHK朝ドラで人気を博した「マッサン」のモデルとなった主人公の生涯をたどることができました。近くには,なんとワイナリーもあって,そのワイナリーでランチ。ブドウ畑を見ながらのランチ&ワインは最高でした。その後は小樽へ移動しました。偶然にも「小樽潮祭り」が開催されていました。暑い中,小学生が動員されたようで(?)パレードに参加していました。小学生は疲れているように見えました。大人に任せてもよいのではないかと思いました。子どもには無理をさせず,自然に地域の行事に参加できるような形が良いと思いました。その後は札幌ビール園で登山メンバー全員と合流しました。ジンギスカンと札幌ビールで英気を養う予定でしたが,少し飲み過ぎた感があって,英気を養うことにはなっていないように思いました。宿泊先のアパホテル&リゾートは市内から離れていました。高校総体が開かれているようで,高校生が一杯でした。
2023年6月28日(金)15時発のピーチで札幌へ飛びました。いつもはANAですが,直行便はピーチのみです。直行便を飛ばしてくれて有難いです。今回の目的は旭岳登山。気持ちは高まるばかり。千歳空港には少し遅れて6時45分に到着。レンタカー会社(ニコニコレンタカー)へ電話したら,送迎バスは既に終了。お店も7時に閉まるということでした。タクシーでレンタカー会社へ急ぎ,レンタカーを借りることができました。その後,神戸の友人Kと千歳空港で合流。夜は北海道の魚料理を堪能しました。
2023年5月3日 私が留学したのは沖縄が1972年に日本に復帰し,琉球大学が国立大学になってからでした。在学中に「文部省教員養成海外派遣制度」で1年間アメリカへ留学しました。しかし,沖縄では1949年から1970年まで,アメリカ陸軍省の管轄による「米国留学制度」がありました。その間に沖縄からは1000名を超える若者がアメリカの大学,大学院に留学しました。そして戦後の沖縄の復興に尽くしていきます。制度が始まった1949年は沖縄での激しい地上戦が終わり,まだその傷も癒えていない時期です。この本には,米軍統治下の沖縄から米国に留学した留学生の心の葛藤や,その後のライフストーリーが描かれています。私の留学とは全く異なっていました。何度も胸を揺さぶられました。「ただの留学ではなかった」のです。そして今を生きる私たちへのメッセージでもあります。著者の山里絹子さんは1978年生まれの若い研究者(琉球大学准教授)。今後の活躍が楽しみになりました。多くの人に読んでもらいたいおススメの一冊!(1年前の出版なので既に読んでいる方も多いと思いますが)
2023年4月30日 稲嶺成祚絵画展に行きました。稲嶺先生は私が琉大附属中学校の教員をしていた頃の学校長(琉大教授が併任)。今年90才で今回が49回目の個展でした。視力がだいぶ落ちてきて描くのも大変だそうですが、心があたたまる作品群は昔と変わらない雰囲気でした。
2023年4月22日 今日は嘉津宇岳の南にある古巣岳(沖縄県本部半島)の登頂に挑戦しました。嘉津宇岳は既に制覇していたので楽勝と思っていましたが、ゴツゴツした岩に足を取られたり、滑ったりして大変でした。単独での山登りだったので、安全を考えて途中でリタイア。次回は一緒に登ってくれるバディを探して再挑戦します!人生も山もまだまだこれから
2023年4月17日 数日前にテレビのニュースで大谷選手ほか大リーグの全ての選手が背番号42を付けてプレーしたことが伝えられました。私は正直何のことかあまり意味がわかりませんでした。しかし,昨日NHKシネマ『42~世界を変えた男~』を観てその意味が分かりました。映画は黒人初のメジャーリーガー,ジャッキーロビンソンの実話に基づいたものでした。全チームの中でたった一人の黒人選手。野球は白人のスポーツと信じて疑わない人々から罵りの言葉を砲弾のように浴びせられます。彼はそのたびに「相手の低いレベルに自分を落とすな」「言い返さない勇気を持て」「野球で成果を上げろ」というオーナーの言葉に奮い立ちプレーを続けていきます。そして次第に人々の気持ちを変えていきます。1947年4月15日は彼がメジャーリーガーとしてプレーした日。そして42番は彼が付けていた背番号。メジャーリーグでは永久欠番になっている理由がわかりました。その彼がいたからこそ国籍や肌の色は関係なく,才能さえあれば誰でもプレーできる今のメジャーリーグに繋がっているのだと思いました。差別や偏見についても,あらためて考えさせる作品でした。プライムビデオでも観ることができるようです。
2023年4月16日 丁度一週間前の今日,敬愛する先生と南城市の「森の中のカフェ」で過ごしました。先生は岐阜県在住です。その時,先生が紹介してくださった本が『DIE WITH ZERO』です。早速手に入れて読みました。この本は2020年に初版が出ています。私は,先生に紹介されるまで,この本のことを全く知りませんでした。今更ですが,この本に書かれた「人生を豊かにする考え方」に感銘を受けました。そしてもっと早く読むべきだったと後悔しました。その先生との出会いも私の人生に大きな影響を与えましたが,本との出会いも人の人生に大きな影響を与えるものです。この本は紹介されなかったら読むこともなかった本です。という訳で,この本を紹介します。内容は読んでみてのお楽しみ。
2023年4月15日 孫二人が通うピアノ教室の「おんがく発表会」に行きました。3才と5才の孫のピアノ演奏(?)に感動したのはもちろんですが、一組だけ4才の女の子と若いお父さんの「親子連弾(とんぼのめがね)」がありました。若いお父さんは、ピアノが上手というわけではなく、娘さんと一緒にピアノを始めたようでした。ピアノ教室に子供を送迎する親はたくさんいます。私もそうでした。でも、忙しい毎日の中で子どもと一緒にピアノに取り組むお父さんはあまりいないと思います。子どもにとって一番素敵なことを、このお父さんはしていると思いました。会場からも大きな拍手が起こりました。
2023年4月12日 『小学校の外国語活動・外国語科基本のき』の(大幅)改訂版が出版されました!著者は敬愛する酒井英樹先生。さっそく一気読みしました。『基本のき』という書名ではありますが,「基本」をはるかに超える深い学びがありました。授業の実例をもとに,「学習指導要領」や「指導と評価の参考資料」との関連が示されています。さらに授業実践を支える「言語習得理論」も示されています。小学校外国語教育に携わる先生方の机上にいつも置いていて欲しいおススメの一冊です。
2023年4月10日 本日,嘉数小学校の入学式に参加しました。なんと104回目の入学式になるそうです。104年前というと1919年。第1次世界大戦が終結するのが1918年なので,その翌年の創立ということになります。校歌には「朝を呼ぶ世界の朝を,正しい歩み進めよう」とあります。ピッカピカの1年生の将来のためにも,人類が正しい歩みを進めて,世界の子どもたち誰もが平和な朝を迎えて欲しいと願うばかりです。
2023年4月6日 「深く掘れ 己の胸中の泉・・・」(伊波普猷)ジュニア版の「琉球・沖縄史」を通読しました。「ジュニア版」とはいえ350頁をこえる分量で読み応えがありました。自分の勉強不足を恥じ入るとともに,沖縄の今(いや,世界の今)を理解するためには,やはり歴史を振り返ることが大切と痛感しました。おススメの一冊。
2023年4月3日 今日は素晴らしい天気です♪気がつけば、南城市の「cafeやぶさち」に来ていましたここからの眺めは言葉では表せないほど素晴らしいです。しばらくまったりしました
2023年3月31日 山歩きをし過ぎたせいか,膝が腫れてきて痛みがありました。そこで近くの「じのん整形外科クリニック」で治療を受けました。
私:山歩きをしているんですけど・・・
2023年3月30日 「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」出会って8年目になる新潟の友人がまたまた遠方から訪ねて来ました。斎場御嶽、残波岬、座喜味城跡を廻りました。楽しからずや。
2023年3月29日 3月は異動の季節です。毎週勉強会をしてきた小学校の先生方も次の学校へ異動していきます。そこで「お別れ山登り」と称して、今日は南部のホロホローの森を歩きました。アップダウンが多い険しい山道でした。一緒に歩いた「仲間」は「仲間」と言う言葉ではとても足りないほどの「仲間」です。これからの新しい出発にエールを送りたいと思います。
2023年3月26日 今日は「沖縄の英語教育を考える会」が主催する英語音声指導法セミナーが開かれました。本来ならば関東学院大学名誉教授の御園和夫先生が来られるはずでした。しかし,御園先生は,昨年末に交通事故で急逝され,今回は来ることができませんでした。今回だけではなく,これからも来ることがないということを考えると,あらためて深い喪失感に襲われてしまいます。私が御園先生を知ったのはラジオ英語講座の「百万人の英語」でした。素敵な声と英語にたちまち魅了されたのを今でも鮮やかに思い出します。主催者の話では,御園先生はなんと180回以上も沖縄を訪れたそうです。私のような地方の名もない教員にも,丁寧に,やさしく接してくださったことを思い出します。英語以外でも多くのことを教えてくださいました。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
2023年3月25日 放送大学沖縄学習センターの客員教授をしていることから学位授与式に出席しました。今年は、なんと学部の6コースを全て修了された方(簡単に言うと学部を6回卒業した)がおられました。ただただ驚くばかりでした。
2023年3月23日 宜野湾市立嘉数小学校の学校評議員をしていることから、嘉数小学校の卒業式に出席しました。なんと今年は103期生!沖縄戦の前も、琉球政府の時代も、そして沖縄県になってからも103年にわたって卒業生を送り出したことになります。今日、卒業していく子ども達が大人になる頃には、今よりも平和な世界になっていることを願うばかりです。
2023年3月19日 沖縄県南城市のカフェ「森のテラス」を再訪しました♪前回は気づかなかったのですが、カフェの下庭には、ゴージャスなブーゲンビリアがありました。
2023年3月12日 琉球王国の時代に国王が毎年普天間宮参拝のために歩いた道(普天間参拝道)を今日は歩きました。浦添大公園から浦添城跡までの片道3㌔の道です♪気分は国王でした♪
2023年3月9日 中学校の教員をしている頃に、修学旅行の引率で長崎平和公園を訪れました。今朝、35年ぶりに平和公園を再訪しました。世界から原子爆弾を無くす運動をしているグループに会いました。資料も展示していました。原子爆弾は絶対使ってはならないとあらためて思いました。もちろん署名活動に協力しました。
2023年2月27日 宮古島空港にはA&Wレストランがあります。いつ入っても50年代、60年代のoldiesが流れています。今日も迷わずA&Wへ。
2023年2月9日 江利川氏の最新刊です。「過去を振り返ることなしに未来は展望できない。」と締め括っています。どのような立場に立つにせよ、おススメしたい一冊です。
2023年2月5日 二日間の全国小学校英語教育実践研究会を終えて、今朝、高知空港を後にしました。この研究会の特徴は、教育現場の最前線で授業をしている小学校の先生方が中心となり、毎年、多くの授業が公開されていることです。今回は第18回目の研究大会でした。私は第1回の京都大会から欠かさず参加してきました。18年も一緒にやってきた旧知の仲間たちに会えたのも、とても嬉しいことでした。今回は12年ほど前に高知第四小学校で授業を参観したことのある先生が別の学校で授業を公開されていました。授業は素晴らしいものに大きく変わっていました(ブラボー!)。しかし、彼女の謙虚さは当時と全く変わっていませんでした♪
2023年2月4日 昨日から全国小学校英語教育実践研究大会が高知市で開催されています。1日目は4つの学校で授業公開がありました。私は土佐山学舎の授業を参観しました。学校全体で地域の事を学習する土佐山学(とさやまがく)が行われており、外国語の授業も、土佐山学を踏まえて行われていました。児童が地域の事を十分に知った上で、伝いたいという思いを育み、土佐山の事を地域の外国人などに伝えていきます。児童の一人が「父はストロベリー農家で美味しいストロベリーを作っています」とうれしそうに、英語で発表していました。私はそのストロベリーを是非食べたいと思い、ストロベリーを買ってホテルに戻りました
2023年1月29日 今日は県立図書館にて一般向けの講演会でした。テーマは「英語の楽しい学び方」参観者は大半がシニアでした。私の方が彼らから学ぶことが多い研修会でした♪
2023年1月27日 神戸市立岩岡小学校の三浦先生の授業を参観しました。児童がお互いに教え合い、助け合いながら学んでいる姿が印象的でした。参観していて心が温かくなりました。でも、教室の外は雪で寒くて凍えそうでした。
2023年1月20日 今年初めての宮古島訪問。今日は天気も良く、海からの風が気持ちいいです♪
2023年1月13日 暖かい日差しに誘われて、「中頭方東海道」を歩きました。首里城から中城城を通り勝連城へ至る古道です。こんな古道が残っているとは知りませんでした。今日歩いたのは中城村を通るほんの一部でした♪
2022年12月10日(土)先週に引き続き、昨日は、宮古島市結の橋学園の平良優先生の3年生の授業を参観しました。T2は文科省視学官の直山木綿子先生でした。息の合った(というより、指導観が一致した)授業は、適度な緊張感と児童の笑いを誘いながら進んでいきました。先週は星やハート
のシールを集める活動でしたが、今回は、少しレベルアップして猫
や犬
のシールを集めていきます。同じ猫でも、首輪の色や耳の色などが微妙に違っています。その微妙な違いを児童なりに表現を工夫して欲しいシールをゲットしていきます。児童は活動に引っ張られながら英語の表現に慣れ親しんでいきました。外国語活動の授業ということを忘れるほどの
楽しい授業でした。今朝も港の船を見ながら昨日の授業の余韻に浸っています♪
2022年12月3日(土)宮古島から戻った翌日、身体がだるく、体温を測ると7度5分でした。いよいよ私もコロナウイルスに感染したかもと思い、かかりつけ医でPCR検査を受けました。雨の中、車の中で待っていた1時間は体調不良と不安で一杯でした。うとうとしていたところへ、看護師さんが結果を伝えに来ました。結果は「陰性」でした。その後、なぜか体調も回復してきました。これはプラシーボ効果というものでしょうか?
2022年12月2日(金)今日は,宮古島市立結の橋学園の平良優先生の授業を参観しました。児童が「ありがとうカード」を飾るために,好きなシールを集めていく活動でした。気持ちのこもった「やり取り」になっており,感動的でした。
2022年12月1日(木)昨日は、宮古島市立平良第一小学校の砂川恵美先生の授業を参観しました。児童の主体性を育む素晴らしい授業に感動しました。児童同士のパフェ作りを、隣で眺めていた私に、児童の1人がWhat do you want?と聞いてきました。頼もしく思いました。今日は結の橋学園の平良優先生の授業を参観します。ホテルの窓からは、結の橋学園のある伊良部島が見えます。
2022年11月20日(日)今日は那智大社コースに挑戦しました。大門坂からの石段をひたすら登りました!
2022年11月19日(土)念願の熊野古道(発心門王子コース)を踏破しました!よく歩いたと思います。
2022年11月17日(木)昨日の沖縄タイムスの記事で「沖縄の教職員は日本一忙しい・・・」と指摘されています。教員研修をしていると,疲れている先生方を見ることが多いです。研修はいいから,休んで欲しいと思う時もあります(笑) 教員のメンタルヘルスの面からは「まずは校長先生が一番ご機嫌になることが大切」と指摘されています。よく分かります。私の教員時代は本当に素晴らしい管理職に恵まれて,のびのびと過ごしました。それが今の自分をつくっていると感じます。
2022年11月8日(火)小学校の先生の発表にこんなのがありました。「He, She を指導するときは,ジェンダーの観点から,児童にHe/Sheと呼んでもよいかどうかを確認してから教えています。」なるほどと思いました。しかし,一方で,知らない人の場合はどうするのかと疑問に思いました。いちいち相手にHe/Sheと呼んでよいかどうか確認することになるのでしょうか。学校では,「~くん」「~さん」を止めて,ジェンダーに関わりなく「~さん」を使うようになっています。また,昔はpoliceman だったのが,今では男女の区別のないpolice officer となっています。gender-neutralの観点からは好ましいことと思います。さて,gender-neutral の観点からHe/Sheに代わる単語は今のところ見当たりません。ドアをノックした人が男性が女性かが判らない場合のために,Who is it? を使うことはありますが,人間の代名詞として it を使うのは少し抵抗があります。前述の先生は「家族の場合は性別がはっきりわかっているのでHe/Sheをどんどん使わせています」と話していました。「うん?」何かしら矛盾を感じました。
2022年11月4日(金)ネット上では,小学校外国語の「名人」がたくさん現れています。名人がたくさん現れることは良いことです。また,オンラインでの実践報告が増えていることも歓迎すべきことです。しかし,オンラインではわからないところもあります。また,ネットの情報が常に正しいとは限りません。オンラインが盛んになればなるほど,実際に授業を見ることの重要性が高まっているように思います。
2022年11月2日(水)辺野古新基地「反対」でも「容認」でも,それぞれの考え方を尊重したいと思います。しかし,辺野古の問題は那覇市には関係ないとは思って欲しくありません。世界は繋がっています。沖縄県民は,辺野古の問題も日本全体で考えて欲しいと訴えてきました。にも拘わらず,那覇市の新市長は辺野古の問題には言及しません。「辺野古の問題は名護市に考えてもらう…」ということでしょうか。しかし,それはないでしょう。那覇市が困った時に,「それは那覇市の問題でしょう」と言われたらどんな気持ちでしょうか。「辺野古の問題は沖縄の問題でしょう」と言われて悔しい思いをしたことはないのでしょうか?
2022年6月4日 6月2日配信の教育新聞は「保護者の98%が学校教育で非認知能力を鍛える学びに期待」と伝えています。外国語教育においても「知識及び技能」「思考力,判断力,表現力」を支えるものは,やはり「主体的に学習に取り組む態度」だと思います。「言語学習は短距離走ではなくマラソン」とよく言われます。指導者は,児童生徒の「その時間」の意欲を高めるだけでなく,学年が進んで,学習者が自分の手を離れても,「粘り強さ」と「自己調整力」をもって学び続けられる授業展開を目指したいものです。行く手を阻むものはいろいろ予想されますが,先生方と一緒に授業づくりをしていきたいと思います。
2022年5月25日 本日(5/25)の沖縄タイムス。島田叡さんの映画が制作中のようです。島田さんは兵庫県出身。戦局が悪化した沖縄に官選知事として赴任しました。前任の知事や他の官吏が戦火を避けて沖縄を離れる中,島田さんは,最後まで沖縄に残り,戦後の沖縄県民の処遇を気にかけながら殉職したことで知られています。映画の完成・公開が待たれます。
2022年5月15日 沖縄は50年前の今日、日本に復帰しました。復帰前、父に連れられて沖縄最北端の辺戸岬を何度か訪れました。父は与論島を指して、「あれが祖国日本だ」と話していました。今日は、息子達を連れて辺戸岬に来ました。雨で与論島は見えません。復帰の日も大雨だったことを思い出しました。
2022年5月13日 NHK朝ドラ「ちむどんどん」のロケ地(旧 嘉陽小学校)です。今朝(13日)の放送で,暢子と正夫がここで「かけっこ」をしていました。ここは,私の姉が琉球大学(当時は本土復帰前でまだ国立になっていません)を卒業して初めて教壇に立った学校です。当時,私は隣の小学校の小学生で嘉陽小学校にはよく遊びに来ていました。運動場を走ってみようと思いましたが(しんけん?)止めました。
2022年5月8日 NHK朝ドラ「ちむどんどん」のロケ地です(沖縄県東村)。比嘉家と家の前を流れる清流は、時が止まっていました。
2022年5月1日 沖縄県立博物館・美術館には,滅多に足を運ぶことはありません。でも「復帰50年沖縄復帰前展」が開催されているので行ってみました。戦争で焦土と化した沖縄が祖国復帰を願い歩んだ27年間を見ることができます。個人的には、辛い思い出も蘇ってきました。辛いけど見ておくべき「展示会」だと思います。7月20日からは「沖縄、復帰後。展」が開催されるそうです。
2022年4月28日 かつて沖縄と鹿児島県の間には「国境」がありました。その国境付近で,本土と沖縄の人々が「祖国復帰」を求める海上集会を行っていました。私は教員である父の転勤にともない辺戸岬の近くの楚洲という集落で幼少期を過ごしました。「あれが,祖国,日本だ!」と与論島を指さして呟いていた父の姿が忘れられません。もちろん,あの時,みんなで歌っていた「沖縄を返せ」は今でも歌詞を見なくても歌えます。https://www.youtube.com/watch?v=kmigP1jacbY
2022年4月16日 4月14日の沖縄タイムスの記事によると,沖縄県内でも,いよいよ教員不足が深刻化してきているようです。記事によると,教員1人で通常の1.5倍の授業時間を受け持ったり,2クラスを同時に授業したり,管理職が授業をしたりする学校もあるようです。新しい学習指導要領も導入されたばかりで,小学校では教科担任制の導入など,授業のさらなる充実が求められています。教員の働き方改革も求められている中での(十分に予想された)教員不足。県レベル,市町村レベル,学校レベル,個人レベルでの努力では限界です。抜本的な改革が求められていると思います。
2022年4月15日 NHK朝ドラ「ちむどんどん」が今週からはじまりました。舞台は沖縄が本土へ復帰する1960年代の沖縄県北部の「やんばる」です。私が少年期を過ごした時期と場所が完全に一致しています。父や母,兄や姉たちと過ごした日々が昨日のことのように蘇ります。ドラマでは,子ども達が世話をしていた豚が突然いなくなり,食卓に豚料理が出されるシーンがありました。私は,友達が世話していたヤギを,泣きながら食べた記憶があります。今週末は,あの「やんばる」へ行ってみたいと思います。
2022年4月13日 2022年度の講義が本日からスタートしました。教育学部英語科が提供する「英語科実践研究」(選択科目)を担当します。「初等外国語教育法」(必修)などを履修し,さらに実践力を高めたいという学生のための科目です。実践(模擬授業)をとおして,授業を支える授業理論及び言語習得理論を学んでいって欲しいと願っています。
2022年3月8日 「戦争の反対語は平和ではなく対話」(暉峻淑子『対話する社会へ』)という言葉を聞いた時,本当にそうだと思いました。以来,教員になる学生達に「粘り強く対話することが大切」と伝えてきました。外国語を学ぶ意義もそこにあります。ウクライナの状況を世界中が固唾を飲んで見ています。「対話」によって戦争を回避するモデルとなって欲しいと思います。そうなれば,私たち教師も児童・生徒に「対話」の大切さを伝えることができると思います。
<これ以前のブログは年度別の「日々の記録」に掲載しています>
みなさまへ
私事で恐縮ですが,3月末で琉球大学を退職しました。公立中学校(附属中学校含む)・高等学校で15年間勤め,その後,沖縄国際大学で9年間,そして最後は琉球大学教育学部でした。琉球大学では16年間お世話になりました。その間,教育学部附属中学校校長,附属教育実践総合センター長,最後の2年間は副学部長を務めました。いずれも私の能力を超える職務でしたが,多くの先生かたに助けていただき,何とか職務を遂行することができました。助けて頂いた先生方には,ただただ感謝するばかりです。
退職にあたっては琉球大学名誉教授の称号を頂きました。微力ではありましたが琉球大学での教育・研究・地域貢献が認められたような気がして大変うれしく感じました。
4月からは教育学部の客員教授として8コマの講義を担当します。また,放送大学沖縄学習センターの客員教授としても週1回のペースで講義(のようなもの)を担当します。附属小学校の先生方との勉強会や公立学校の先生方との授業研究会なども,お邪魔にならない範囲で続けていきたいと考えています。
大学のメールアドレスは継続して使っています。koshiro@edu.u-ryukyu.ac.jp でお願いします。ありがとうございました。
このWeb Pageを訪問してくださりありがとうございます。
10年以上にわたって作成してきたWeb Pageが2018年の2月28日に突然サービスが停止してしまい,全てのデータが失われてしまいました。その時のショックはとても大きく,2週間ぐらいは落ち込んでいました。
再びホームページを立ち上げる気力はほとんど残っていませんでしたが,学生や元学生達や友人の勧めもあり,7月1日をもって再開することにしました。たいした記事は書いていないのですが,学生や友人たちが見ていてくれるのは本当にありがたいと思いました。一部バックアップをとっていた記事をアップロードしつつ,充実したウェッブページを作りたいと思っています。
2009年4月1日より2012年3月31日まで琉球大学教育学部附属中学校長を併任させていただきました。また,2012年4月1日から2016年3月31日までは教育学部附属教育実践総合センター長を併任させていただきました。その間は附属中学校の職員のみなさま,保護者のみなさま,そして多くの方々にお世話になりました。2017年度は琉球大学教授職員会の会長を務めました。初めての団体交渉も経験しました。頼りない会長でしたが,組合員のみなさまにはお世話になりました。
2018年度からは図らずも教育学部副学部長に就任しました。力不足は重々承知しています。実力の150%ぐらい発揮して職責を果たしていきたいと思っています。
このウエッブページでは,主に私の講義に関する情報や,英語教育に関する私の考え方などを発信していきたいと思っております。読んでいただき,感想などがありましたら気軽にメールしてください。お願いします。
メールアドレスは: koshiro@edu.u-ryukyu.ac.jp