大城賢研究室へようこそ。

このWeb Pageを訪問してくださりありがとうございます。
10年以上にわたって作成してきたWeb Pageが今年の2月28日に突然サービスが停止してしまい,全てのデータが失われてしまいました。その時のショックはとても大きく,2週間ぐらいは落ち込んでいました。

再びホームページを立ち上げる気力はほとんど残っていませんでしたが,学生や元学生達や友人の勧めもあり,7月1日をもって再開することにしました。たいした記事は書いていないのですが,学生や友人たちが見ていてくれるのは本当にありがたいと思いました。一部バックアップをとっていた記事をアップロードしつつ,充実したウェッブページを作りたいと思っています。

2009年4月1日より2012年3月31日まで琉球大学教育学部附属中学校長を併任させていただきました。また,2012年4月1日から2016年3月31日までは教育学部附属教育実践総合センター長を併任させていただきました。その間は附属中学校の職員のみなさま,保護者のみなさま,そして多くの方々にお世話になりました。2017年度は琉球大学教授職員会の会長を務めました。初めての団体交渉も経験しました。頼りない会長でしたが,組合員のみなさまにはお世話になりました。

2018年度からは図らずも教育学部副学部長に就任しました。力不足は重々承知しています。実力の150%ぐらい発揮して職責を果たしていきたいと思っています。

このウエッブページでは,主に私の講義に関する情報や,英語教育に関する私の考え方などを発信していきたいと思っております。読んでいただき,感想などがありましたら気軽にメールしてください。お願いします。

メールアドレスは: koshiro@edu.u-ryukyu.ac.jp

英語教育セミナー(12月1日;琉球大学)

 

 

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赤嶺美奈子先生のセミナー

2018年12月1日 5:26 PM

2018年12月1日(土)今日は,赤嶺美奈子先生(伊江村立伊江中学校教頭)を迎えて学生と現職教員のための英語教育セミナーをしました。もともと私の教職実践演習を受講している学生のための講義の一環として企画したのですが,現場の先生方にとっても必要なものかもしれないと思い立ち,現場の先生方へも呼びかけて実施したものでした。

66人の参加者のうち,30人は現場の先生方でした。しかも沖縄本島からはとても遠く,飛行機や船を乗り継がないと来られないような離島からも数名の先生方が駆けつけてくれました。同じ学校から誘い合って英語科全員参加の学校もありました。

赤嶺先生は,現在は教頭先生をされているのですが,現職の英語教師をしている時代から,私は何度も授業を参観してきました。教室はいつも生徒の笑い声にあふれていました。そして誰一人として置き去りにされている生徒はいませんでした。生徒との英語の「やり取り」を中心に授業が展開していきました。ほぼAll Englishでした。

今日は学生を生徒に見立てて模擬授業形式のセミナーが展開されました。時には教材作成の裏話を語り,また,時にはseriousな問題を私たちに投げかけ,英語教師の意識改革を強い口調で求めてきました。笑いと緊張感が走るセミナーとなりました。

受講者の感想を一部紹介します。

〇セミナーを受けていることを忘れて楽しんいる自分がそこにいました。こんなふうに生徒を夢中にさせる授業がしたいと思いました。(学生)

〇今回のセミナーを受けて英語の授業に対する姿勢が自分の中で大きく変わりました。(学生)

〇今の英語教育に何が求められているのか,子供たちは何を求めているのか,教師はどういう手立てが必要か等,考えさせられる場面が多くありました。

〇教師になりたいという気持ちがさらに強くなり,現場にでて実践したいと強く思いました。(学生)

〇今の私に足りない事は,生徒達の実態に即した授業を創っていないことでした。ここが問題でした。その事に今日気付かせて頂きました。(中学校教員)

〇生徒の実態に寄り添い,教材や教具を日常生活の中からピックアップしていくことは,やはり重要だと感じました。美奈子先生の豊富なアイディアに感動しました。(中学校教師)

〇忙しさを理由にせず,子供の興味のあるものは何かを考え,いろいろな仕掛けを授業の中に取りいれていきたいと思いました。(中学校教師)

〇勉強不足なのを日々感じていました。相談できる先輩が少ないので,これからも美奈子先生のセミナーに参加したり,直接メールしたりして勉強したいです。(小学校教員)

〇これまでの授業内容を見直すよい機会となりました。もっと勉強したい,もっと指導力を高めたいと強く感じました。美奈子先生に会いに伊江島まで足を運びます。いろいろと教えてください。(中学校教師)

「児童生徒のために自分がいる」というのは美奈子先生の口癖です。医者を必要としているのは,病気の人です。コミュニケーション能力は誰にとっても必要です。一人も置き去りにしない授業づくりを,私も,学生や現場の先生方とともに創っていきたいと思いました。

ハイコンテクスト環境を活かす

2018年11月25日 11:38 AM

ハイコンテクスト環境を活かす

高校生の頃に「嵐が丘」という映画を観ました。映画の中で女主人公が寡黙な男性に対して「何も言わないのは,いないのと同じよ!」というセリフがありました。当時は「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルが流行っていた時代でしたから,その言葉はとても衝撃的でした。

その後,大学で英語教育を学ぶようになり,エドワード・.ホールが唱えた「ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化」という考え方を学びました。共通の文化や経験,価値観があると,伝える努力やスキルがあまりなくても,なんとなく通じてしまうという環境のことをハイコンテキスト文化と言います。逆に,共通の文化や価値観がない環境はローコンテクスト文化と言い,言葉で伝える努力をしないと理解してもらえません。他民族国家の代表であるアメリカやイギリスは,まさしくローコンテクスト環境と言えるでしょう。ですから「何も言わないのは,いないのと同じよ!」というセリフが出てくるのでしょう。一方で,昔の(?)の日本のように共通の言語や文化,価値観を共有している文化では,何も言わなくても「黙ってサッポロビール」を飲んでいれば通じてしまうということもあるのでしょう。私のような年代の人は,その頃のことを懐かしがっている人が多いのではないでしょうか。

ところで,小学校の外国語活動を参観していると,担任の先生と児童が英語でやり取りをしているのですが,参観者には,あまりよく理解できないことがあります。でも担任の先生と児童はお互いに十分に理解し合えているのです。考えみれば,担任の先生と児童は毎日,毎日,同じ教室にいますので,共通の知識や体験を共有しているので,理解しやすい環境が作られているのでしょう。夫婦間でも言葉を発しなくても分かり合えるというのと似ているかもしれません。

さて,外国語を学ぶ時は,このハイコンテクストな環境はメリットなのでしょうか?それともデメリットなのでしょうか?これまでの外国語習得研究では文脈(環境,場面,状況など)や既習の事項を活かすことの重要性が指摘されています。分かりやすい場面の中で,既習事項を踏まえながら,新しい文法や語彙を導入すると理解しやすく,言語習得に繋がりやすいということです。

このように考えると,担任の先生の話す英語の内容は,児童にとっては既に知っていることが多いのかもしれません。ですから,参観者にはわからなくても,担任教師と児童の間では分かってしまうということもあるのかもしれません。だとすれば,担任教師が英語の授業を担当することはメリットということになります。教室内の英語がピジン化(教室内だけでしか通じない)することは避けなければならないのですが,このメリットを活かさない手はないと思います。

「専門性が高い」という意味

2018年11月22日 10:00 PM

「沖縄県の教員の資質向上連絡協議会」という機関があります。沖縄県の教育委員会と教員養成を担う県内の大学とが,教育実習や教員養成等について協議をする機関です。今年は第2回会議が11月16日に開催されました。協議題の一つは「小学校高学年の外国語は誰が指導すべきか」となっていました。興味深いテーマなので資料を取り寄せて読んでみました。

県教委は,小学校教員の指導力を高めて専科として指導できるように支援する方向性と,中学校教師に研修を行って小学校へ派遣する二つの方向性を示しています。極めて妥当で現実的な提案理由が記されていました。

ところが県内大学で中高教員養成をしている大学は,そのほとんどが,中高英語免許を取得した人を小学校で活用して欲しいという提案でした。その理由は「専門性が高い」ということでした。一つの方向性としては,それでよいとは思いますが,小学校教員の「専門性」についての言及はありませんでした。少し残念でした。英語指導力(英語力)が高いというだけで小学校での指導が可能だと考えるのは極めて危険です。小学校の先生は小学校教育の「専門性」が極めて高いのです。ですから,小学校の免許状があり,小学校で指導することが可能なのです。中学校の教員は中学校の免許状を持っていても小学校の免許状は持っていません。それは何を意味するのかを一方では考える必要があります。中学校や高等学校の教員養成だけに関わっている大学教員は,小学校の教育がどのようになされ,教員にはどのような資質や能力が求められているのかについては目が行かないのかもしれません。

高等学校校長会も中高の英語教師を小学校に派遣したほうがよいという提案でした。理由は同じく「専門性が高いから」です。「専門性」が高いなら,中高の英語教育も上手くいっているはずなのですが,それも,現実には上手くいっているとは言い難いのです。中学校では英語嫌いが増えており,高校では国が目標としている英検準2級程度に達している生徒は39.3%です。中卒レベルの高校生も多く2極化していると言われて久しくなります。小学校ではよく行われている「対話型の授業」も少ないことが指摘されています。もちろん,素晴らしい中高校の先生もたくさんおられて,中高で良い指導ができるなら,小学校でも素晴らしい指導ができることが大いに期待されます。しかし,一方では逆のケースも予想されます。

もちろん,会議資料だけからでは判断できないところもあります。口頭では県内大学も高等学校長会も,小学校教員の専門性について言及したかもしれません。確かに小学校教員の「専門性」に加えて,もう少し英語力が欲しいと思う時もよくあります。これまでの中高の英語教育が上手くいっていれば,小学校の教員も中高の英語教育を通して,小学校レベルの英語は指導できる力をつけているのが当たり前でしょう。国語や算数はこれまでの学校教育の中で小学校レベルの内容は十分教えることができているのです。しかし,英語だけは,それができていないと言えるのかもしれません。今回の資料に目を通してみて,「専門性」が高いということは,どういうことかを再度考えてみる必要があると感じました。

英語専科教員は誰が望ましいか

2018年11月7日 8:44 PM

英語専科教員は誰が望ましいか

小学校への英語教育が議論された初期(1990年代)の頃から,担当者は誰が望ましいかという事が英語教育関係者のみならず,多くの教育関係者や一般市民を巻き込んで議論されてきました。現行及び新学習指導要領では「学級担任の教師又は外国語を担当する講師が指導計画を作成し,授業を実施するに当たっては,ネイティブ・スピーカーや英語が堪能な人材などの協力を得る等・・・」と示されています。「外国語を担当する講師」は英語専科教員等を指していると考えられます。英語専科教員という場合,小学校の担任教師を英語専科教員とする場合と,中学校教員や外部人材を英語専科教員とする場合があります。ここでは,「英語専科教員は学級担任か,または外部人材(中・高等学校英語教員を含む)か」ということについて私の考えを述べたいと思います。

現時点までの国の動きをみますと,学級担任が指導力を高めて教科化に対応するという方向性が示されています。国としては,教科化に対応できるように,<中央研修⇒中核教員研修⇒校内研修>というカスケード型の研修を実施しています。また,移行期においては学校長を中心とした校内研修を確実に実施することを求めています(文科省「小学校外国語活動・外国語研修ガイドブック」)。さらに,文科省は,学級担任が専科としての指導力を高めて指導にあたることができるように,「小学校教員のための英語二種免許[英語]認定講習」を各県1機関に委託して進めてきました。琉球大学においても,沖縄県教育委員会との連携を図りながら,この事業を進めてきており,現在まで53人の小学校教員が免許認定講習を受けています。本年度末には,34人前後の先生方が中学校英語二種免許を取得することが可能な状況となっております。

小学校英語科(5,6年)を担当するのは誰が望ましいか,ということに関して,私は小学校教師が指導力を高めて専科教員として指導するほうが望ましいと考えています。一方で,その対応が難しいことも十分予想されるため,中学校英語教師が英語専科教員として小学校で指導することも併せて検討することが必要だと考えています。その理由を筆者らが行ったアンケート調査(1~4までは平成26年の実施,5は平成30年実施)を基に検討したいと思います。

1.教員養成系大学教員へのアンケート調査

筆者らが全国の教員養成系大学担当教員へ「専科として最も望ましいのは誰か」と質問したところ(60大学のうち14大学から回答),①「小学校の担任の先生で、英語に興味があり、英語が得意な人が望ましい」と回答した大学が78.6%,②「中学校(または高校)の英語教員が望ましい」が28.6%、③「地域に住んでいる方で、英語ができる人」は0%,④「外国人講師」は7.1%となっています。①の理由としては,ア小学校教員であれば児童の状況をよくわかっており、発達段階に応じた適切な指導ができる可能性が高いと考えられるから,イ英語ができるという条件の前に、教師であるとか教育に興味があるという条件がくるべき。ウこれまで小学校で培われてきた外国語活動のノウハウを今後うまく継承、発展させていくことが出来るのは、同じ文化を共有している小学校教員であると考えるから,などとなっています。教員養成に携わっている教員の意識としては,中高の教員に向いている学生と,小学校の教員に向いている学生がいることが認識されているのではないかと思われます。

2.学生へのアンケート調査

琉球大学教育学部の学生で小学校教員を目指している学生(100人)と法文学部を中心とした中高英語教員を目指している学生(101人)にアンケート調査を行ったところ,小学校教員を目指している学生の60%,中高英語教員を目指している学生の71%が英語専科教員が中心になって教えたほうがよいと回答しています。さらに「英語専科は誰が望ましいですか」と質問したところ,小学校教員を目指す学生の回答で最も多かったのは「小学校の担任の先生で、英語に興味があり得意な人」(49%)でした。一方で「自分が専科として教えてみたい(強くそう思う[2%]+できればそう思う[10%])と回答した学生は12%にとどまっています。小学校教員を目指す学生は,英語専科は同じく小学校教員を目指している人の中から養成して欲しいと考えていますが,自分が希望しているかというと,そうではないことがわかります。筆者らの聞き取りからも小学校の教員を目指す学生は,担任を希望している学生が圧倒的に多いことがわかりました。

3.   現職小学校教員(92人)へのアンケート調査

「小学校で英語が教科として導入された場合、中心になって教える人は、誰が望ましいですか。」という質問をしたところ,87%が「英語専科教員が望ましい」と回答しています。さらに,「専科は誰が望ましいですか」と質問したところ,31%が「小学校の担任が専科になったほうがよい」,41%が「中学校教員が専科になったほうがよい」,2%が「地域の人材を活用したほうがよい」,20%が「ALTなどがよい」と答えています。この回答から,小学校教員の意識としては,中学校教員,または小学校教員に英語専科教員になって欲しいという希望が高いことがわかります。地域人材と答えた小学校教員はわずか2%にとどまっています。

4.現職中学校教員(25人)へのアンケート調査

中学校の教員に「小学校の専科教員として望ましいのは誰ですか」と質問したところ55%の教員が「中学校教員」と答えています。また,中学校教員に「小学校で専科として教えてみたいですか」と質問したところ,「強く希望する」が11%で,「できればそうしたい」が49%となりました。

5.小学校外国語活動及び外国語を指導することに対する自信

平成30年1月に沖縄県内451人の小学校教員を対象にアンケート調査を行いました。2020年度から始まる教科・外国語に対する自信について質問したところ「とても自信がある」が2%,「まあ自信がある」は14%,「あまり自信がない」は59%,「まったく自信がない」が25%となっていました。高学年の外国語は教員の3分の1が担当することになります。せめて30%程度は「自信がある・まあ自信がある」と答えて欲しかったのですが,結果は上述したとおりとなりました。

まとめ

学習指導要領には「高学年の外国語科の目標を踏まえると,広く言語教育として,国語科をはじめとした学校における全ての教育活動と積極的に結び付けることが大切である」と示されています。外国語科の目標がスキルのみを中心としているのではないことがわかります。また,外国語教育には,他教科とは異なる「不安感」が絶えず付きまとうことがこれまでの研究からわかっています(Horwitz, 1986; 川内2016,他)。「身近な人,自分自身を理解している人」が指導者として望ましいことも多くの研究が示唆しています(松宮,2012,ほか)。そのため,小学校英語は学級経営(支持的風土づくり)が鍵とも言われてきました。

小学校で扱う英語は中学校レベル(英検3級)を超えるものではありません。小学校の教員は中学校,高校,大学と英語を学んできていますから(教員採用試験にも合格するほどの優秀な人たちです),本来ならば英検2級(高校卒業)レベルの英語力を身に付けていることは当たり前です。しかし,そうなっていないことが現実で,それは日本の英語教育の失敗を,残念ながら白日の下に晒す結果となってしまいました。(筆者らの調査では,自分自身の英語力を英検2級以上と自己評価している教員は15%でした。)

筆者は,これまで小学校で多くの授業を参観してきました。小学校の先生方の授業力の高さには,いつも驚かされます。しかし,英語力という点では課題も見えます。今後は,英語に得意な先生や,外国語の授業に興味ある先生方が英語力等を向上させて専科として指導することが望ましいと思います。しかしながら,アンケートでも見てきたように,全ての小学校教員にそれが可能かというとそれも難しいと考えられます。

そこで,「中学校教員の力を借りる」という方向性が模索されることになります。最も「手っ取り早い」方法と考えられていますが,「最も危険」な方法になる可能性もあります。研修もなく,中学校と同じような方法で指導すると,逆に小学校外国語の目標を達成することが難しくなる可能性もあります。

筆者は,中学校の教員の60%が小学校の専科を希望している(「できればそうしたい」を含む)ことに驚きと不安を感じています。課題を抱えているのは中学校の英語教育も同様です。むしろ中学校英語教員には中学校の英語教育にどっぷりとのめり込んで欲しいとさえ思っています。中学校で優秀な英語教師は小学校でも上手く教えることができます。しかし,逆のケースも出てくる可能性もあります。中学校教員を小学校に配置する場合は慎重になるべきと考えています。

まずは小学校の先生の中から専科教員を養成し,足りない分については,中学校の教員の人選を慎重に行いしっかりと研修を実施したあとに小学校英語専科として活用することが望ましいと考えます。

【参考資料】

大城賢・東矢光代「外国語活動の教科化にともなう教員養成カリキュラム開発」文科省委託事業報告書,2015年3月

大城賢・深澤真「小学校外国語活動及び外国語導入に対する小学校教員の意識」琉球大学教育学部紀要,2018年9月

文部科学省「小学校外国語活動・外国語研修ガイドブック」文科省,2017年6月

Small Talk の意味と意義

2018年9月25日 5:37 PM

英語教育で使われる用語にTeacher TalkやClassroom Englishなどがあります。今回の学習指導要領ではSmall Talk という用語が登場しました。これは,Teacher Talk やClassroom English とは異なるものでしょうか。

Teacher Talk というのは,外国語の教師が,相手に合わせて,分かりやすいように外国語を調整しながら話すことです。これと同じ意味の用語として,caretaker speech(幼児を世話する人の言葉)やmotherese(母親言葉)などがあります。

Classroom English は一般に授業中に使う簡単な英語のことを指します。‟Open your book.“ ‟Let’s play a game.” ‶Good job!″など定型化している表現と言ってもよいでしょう。

それでは Small Talk とは何でしょうか。英語辞典を引くと「世間話」「雑談」という訳語が出てきます。知り合いのネイティブに聞いてみるとエレベーターが上がっていく間(または降りていく間)に話される「こそこそ話」だと説明していました。日常使われるsmall talkは使う人によってイメージが異なるのですね。

さて,英語教育用語として使うにはそれを定義して使う必要があります。使う人によって受け取るイメージが異なるのでは困ります。文科省が発行している『小学校外国語活動・外国語研修ガイドブック』では 「Small Talkとは,高学年新教材で設定されている活動である。2 時間に 1 回程度,帯活動で,あるテーマのもと,指導者のまとまった話を聞いたり,ペアで自分の考えや気持ちを伝え合ったりすることである。また,5 年生は指導者の話を聞くことを中心に,6 年生はペアで伝え合うことを中心に行う(p.84)」と説明しています。

この定義を踏まえると,相手に合わせて,外国語を調整しながら話すこという点ではTeacher Talk と重なるところがあります。しかし,「あるテーマのもとで,まとまった話をする」という点ではTeacher Talkの定義と異なっています。また,Classroom English がやや定型的な英語表現であるのに対してSmall Talkは「自分の考えや気持ちを伝え合う」ことですので,Classroom Englishの定義とは異なります。‟Let’s play a game.“ は活動を進めるために必要な表現ではありますが,まとまった話でもありませんし,指導者の気持ちや考えを伝えるためのものでもありません。

さらにSmall TalkがTeacher Talk ともClassroom English とも決定的に異なるのは児童同士の対話もSmall Talk としている点です。

わざわざ新しい用語としてSmall Talkを導入した理由は何でしょうか。私は新しい学習指導要領の目標を実現するためには必要だったためではないかと考えています。新しい学習指導要領では「言語活動」が再定義され「自分の考えや気持ち」を表現する活動と定義しています。また,領域別の目標として「やり取り」が新たに加わっています。このSmall Talk は指導者の「考えや気持ち」を表現する絶好のチャンスです。また,6年生では児童同士の「やり取り」も増えることになりますから,児童同士のSmall Talk も進めていく必要があります。

ある研究会で,「Small Talk は担任の先生には難しいので文科省の教材を聞かせておくだけで良い」と発言された先生がおられました。聞かせておくだけならリスニング活動にはなりますがSmall Talk にはなりません。

また,先日参観した授業では文字を導入するために身近な英語の看板を導入する活動をALTと一緒に行っていました。これ自体はとても素晴らしい活動ですが,指導案にはSmall Talk と書かれていました。これはSmall Talk ではありません。なぜなら「まとまり」がなく,指導者の「考えや気持ち」は皆無だったからです。このような活動は,Oral introduction と呼ばれていたもので,従来から行われていたものです。

新しく定義されたSmall Talk によって,指導者は既習表現を自分のSmall Talkの中で繰り返し使うこともできます。児童は学習した表現を何度も聞くことになりますから定着につながります。また,未習の語彙や表現であっても,まとまった話ですから,その話の場面や状況から児童は英語を聞きながら意味を推測する力もつきます。

何と言っても,身近な話ですから,興味・関心も高まります。自分たちとは関係のないMary やTom の話ではないのです。

この,Small Talk を正しく理解して実施していくことが新しい学習指導要領の目標を実現する鍵となると私は考えています。

 

外国語活動における「言語活動」

2018年9月18日 11:56 AM

新しい学習指導要領(外国語活動)では,「思考力,判断力,表現力等」や「知識及び技能」,「学びに向かう力,人間性」は,「言語活動」を通して指導することが示されている。つまり,言語活動は「資質・能力」を育成する核となるものである。

「言語活動」という言葉は従来も使われており言語材料についての理解や練習なども「言語活動」に含まれていた。しかし,今回はこの「言語活動」が再定義されている。「外国語活動・外国語研修ガイドブック」(文部科学省)には,「言語活動は,『実際に英語を用いて互いの考えや気持ちを伝え合う活動』を意味し,言語材料について理解したり練習したりするための活動とは区別されている」と述べられている。

従来の「言語活動」は理解や練習だけで終わっていたことが多かったと思われる。テキストの対話を覚えて発表させるだけの活動等は,これからは言語活動とは言わないのである。なぜなら,そこには「互いの考えや気持ち」が含まれていないからである。

言葉の本来の役割は「自分の考えや気持ち」を相互に伝え合うことである。外国語といえども言葉に変りはない。したがって,「言語活動」の再定義は,言葉の本来の役割を体験させることに他ならない。当然,自分の考えや気持ちを伝えるには,どのような表現等を使えばよいのかを「思考・判断」することが求められる。そして考えや気持ちを伝え合うために「知識・技能」も活用される。さらに,考えや気持ちを伝え合う経験を通して「主体的に外国語を学ぼうとする態度」は育成される。単に文法を理解したり,覚えたことを言うだけの活動からは,これらの「資質・能力」はいずれも育成することはできない。そのためには指導者も自分の考えや気持ちを外国語で伝えることが求められる。そのような指導者の下でこそ自分の考えや気持ちを伝えたいと思う児童が育つのである。

「説明や練習」を通してではなく「言語活動」を通して指導に当たることが今回の学習指導要領の目標を実現させるための鍵である。

 

外国語活動における「慣れ親しみ」

11:51 AM

「外国語活動・外国語研修ガイドブック」(文科省)には「『慣れ親しむ』というのは改訂前の学習指導要領でも使われている表現で『知識及び技能』の定着を直接的なねらいとするものではない」と示されている。例えて言えば,それは浅いプールでの「水遊び」のようなものである。水に慣れ親しめば,水を恐れることもなく,もっと深いプールで泳ぎ方を身に付けたいという意欲も湧いてくる。

従来の英語教育では中学校に入学した段階でほぼ同時に4技能を取り扱うことから,指導上の難しさがあると指摘されてきた。つまり,これまでは英語を十分に聞くこともなく,いきなり「話せ」と言われたり,また,文字や単語の読みもままならないうちに,「読め」「書け」と言われていたようなものである。言語習得の研究からも,話す前には十分に聞くことが必要で,「書ける」ようになる前には,十分に文字や単語や表現に慣れ親しんでいなければならないということがわかっている。これまでの英語教育の枠組みでは「慣れ親しむ」段階がすっぽりと抜け落ちていたと言ってもいいだろう。授業についていけず,英語嫌いになっても不思議ではない。

中学年の外国語活動では目標として「外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しむようにする」と示されている。高学年の外国語においても,アルファベットの大文字・小文字に十分に慣れ親しむこと,また,音声で十分に慣れ親しんだ表現に限って,読んだり,書き写したりすることが導入されることになっている。外国語は,音声においても文字においても日本語とは異なっている。それは「歩くこと」と「泳ぐこと」とが異なっているのに似ている。児童にとっては日本語と異なる初めての外国語である。慣れ親しむ段階が必要である。慣れ親しんでもいないのに,定着を急いで,無理な指導をすることは避けなければならない。

「慣れ親しむ」という段階が設けられた意義を十分に理解した上で授業づくりをすることが今回の学習指導要領の目標を実現させる鍵となる。

公開授業も子供を育てる場!

2018年9月10日 6:23 PM

公開授業も子供を育てる場!

今年も残すところあと僅かとなりました(この記事を書いたのは2012年11月29日)。この1年もいろいろな学校へおじゃまし,授業を観させてもらいました。私の頭の中には小・中・高のたくさんの先生方の授業が,今年も印象深く刻まれました。ありがたいことだと思います。

印象に残る先生の一人に,武雄市立朝日小学校のO先生がいます。6年生の担任で,公開授業では素晴らしい授業を展開しました。“Where do you want to go? の質問に対してI want to go to America because I like baseball very much. I want to see Ichiro in America.”というように答えていく活動でした。たどたどしい英語ではありましたが,発表した子どもたちは精一杯自分が行きたい国とその理由を言っていました。私は指導助言者として「たどたどしいながらも,自分なりに理由を考えて英語を話したことが良かった」などということを言いました。

そして,公開授業も終わって懇親会に出席しました。すると,隣のクラスの先生がO先生に向かって「あのA君,今日はよく発表しとったね。びっくりしたわ(佐賀弁で)」と言っているのです。私は何のことかと思って聞き耳を立てていました。するとO先生は「A君は,いつもは,自信なさそうに,何も言わんと,今日は自信をつけさせたかと(佐賀弁で)」と話しているのが聞こえました。私は,その話を聞きながら,感動で鳥肌が立ちました。

普通の先生ならば,公開授業なので「発表の上手い子」「元気な子」などを指名すると思います(私もそうでした)。しかし,O先生は逆でした。いつもはクラスで元気がない子,みんなから忘れられそうになっている子を100人以上の先生方が見つめる公開授業で指名していたのでした。

「いつものように何も言わないかもしれない。授業はそこで流れが止まるかもしれない」という不安が頭をよぎったかもしれません。しかし,教師の「子供を育てるプロ意識」の方が勝っていました。公開授業の場を,子どもの成長の場にしてしまったのです。この先生はすごいと思いました。

すごいと思うと同時に,自分の指導助言が,いかに表面的なものであったのかに気づき愕然としました。もう指導助言はできないと思いました。(記:2012年11月29日)

 

初めての教壇実践

2018年9月1日 9:02 AM

今週から附属学校では教育実習が始まりました。琉球大学教育学部では3年次の前期を終えたところで教育実習を行います。これまで大学で学んだことを実際に現場で試してみます。そして課題を持ち帰り,大学でさらに学びを深めます。希望する学生には4年次で再び公立実習の実習を経験することができます。このようにして卒業まで「理論と実践」を往還させていきます。
今日は,多忙を極める中でしたが(笑い),実習生の様子を見に附属小学校へ出かけました。実習生は,高学年のクラスで道徳の授業を担当していました。テーマは「自由行動」。「修学旅行で,グループで自由行動をすることになった場合,みんなが満足する自由行動はどのようなものか」ということがテーマです。
実習生は「自由行動からどんなことを想像しますか」と問いかけて授業は始まりました。そして,授業は児童との対話形式で展開するはずでした。ところが児童の発話をうまくまとめて次へつなげていくことができません。実習生はパニックになりはじめました。その瞬間でした。担任の先生が,後方に座っている元気な児童を指名して,「〇〇さんは,どう思っているのですか。ちょっと,いつもの演説(?)をしてください。ほかの生徒は後ろの方を向いて〇〇さんの話を聞いてください」と指示しました。担任はその間,スッと実習生に駆け寄り授業の進め方についてアドバイスをしました。児童は後ろを向いていたので担任の先生が実習生にアドバイスをしていることなど全く知る気配はありませんでした。○○君が演説を終わった時は,担任の先生は元の位置に戻っていました。
授業はその後も何度か止まってしまいましたが,何とか授業を終えることができました。実習生は涙をこらえているようでした。初めての教壇実践で,いろいろな思いが込み上げてきたのではないかと思います。
私もなぜか込み上げるものがありました。担任の先生の配慮あるアドバイスには,清々しさを感じました。
実習生は,泣いたり,笑ったり,打ちひしがれたりしながら,これからの4週間を過ごしていきます。頑張って欲しいと思います。今日の授業のことも,担任の先生の配慮も忘れないで欲しいと思います。そして,学生の成長を支えている附属小学校の先生方には感謝しかありません。

「主体的・対話的で深い学び」に向けた授業改善 

2018年8月5日 10:14 PM

「主体的・対話的で深い学び」に向けた授業改善

改訂された学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」の実現に向けた授業改善が求められています。アクティブ・ラーニングは,ここ数年,教育界を席巻するキーワードとなっています。教育現場での実践も蓄積されつつあります。けっして目新しいものではありません。

筆者も,中学校や高等学校の英語の授業で,アクティブ・ラーニングの授業を参観する機会が何度かありました。グループで教材を読み解いていく活動をとおして,深い学びに至る活動は,従来型の一方的な講義型では見られないほど,生徒が意欲的になっており,かつ,学びの質も深いものになっています。素晴らしいと思います。

一方で,グループ内での「対話」が日本語になっており,読解した教材の感想も日本語での発表になっていることがあります。確かに,読み取りは深くなっています。感想の中身も深いものがあります。しかし,果たして,英語の「運用力」は高まるだろうか,と疑問に思います。

中教審答申では「対話的な学び」の視点として,「コミュニケーションを行う目的・場面・状況に応じて言語活動を行う学習場面を計画的に設けることが考えられる」とあります。つまり,言語活動をとおして,英語の音声や語彙,表現などを実際のコミュニケーションにおいて活用できことが「対話的な学び」の一側面であることがわかります。また,「深い学び」の視点として,「学習内容を深く理解し,資質・能力に示す力が総合的に活用・発揮されるようにすること」と説明しています。そしてそのためには,「コミュニケーションを行う目的・場面・状況等に応じた言語活動を効果的に設計することが重要である」としています。換言すると,対話的な学びも,深い学びも,コミュニケーション活動をとおして育まれるものであるということです。グループで,英文を日本語に訳する活動を行い,たとえ深く理解したとしても,それが,コミュニケーション能力に繋がるものでないなら,それは「アウト」ということになります。

もちろん,従来の英語教育においても,情報ギャップを利用したペア活動などの言語活動が行われていました。しかし,それが深い学びに繋がっていったかというとそれも疑問です。「深い学び」は単なる情報の交換を越えて,学習者に学びの質の深まりを起こさせるものでなければなりません。

さて,英語の語彙や表現力が限られている児童に,英語での「対話」をとおして,深い学びに至らせることは可能でしょうか。6月17日~18日にわたって開催された日本児童英語教育学会全国大会で公開された西原美幸先生(広島大学附属小学校)の授業に,「対話的な学び」のヒントが隠されているように思います。授業は全て英語で行われたんおですが,指導者と児童の間でこんな「対話」が交わされました。

T: I like winter.

S: Why do you like winter?

T: Because winter is my birthday.

S: Oh, your birthday is in winter. In January or February?

T: In December.

児童の発話に対して,指導者は様々な質問を投げかけて「対話」を深めていきました。また,児童の‶Because winter is my birthday.”の答えに対し,指導者は‶Your birthday is in winter.” とrecast(言い直し)しています。この授業では,教師が,何度もrecast を行いました。そして,指導者との対話によって,児童に気付きが起こり,学びが深まっていきました。事実,その後の児童の発話には,‶My birthday is in summer.” などと修正された発話が見られました。これこそ「対話」による深い学びと感じました。

児童同士の対話の場面では修学旅行の行先を決める場面がありました。修学旅行の行先としてどこがよいかを決めさせたのです。そして,決める際には,学年でとったアンケート(自然体験を希望する人,都会へ行きたい人などの割合)をもとに話合いをしました。そこでの「対話」は日本語でしたが,日本語での「対話」を基に,児童は「自分が行きたい場所」を言うのではなく,アンケートを踏まえて「修学旅行の行先としての行きたい場所」を英語で発表しました。児童の発表はこんな感じでした。

‶I think Hokkaido is good. Sapporo is a big city. We can experience a big city. We can enjoy nature in Hokkaido too.”

言いたい事を全て言えたわけではありませんが,HokkaidoやSapporo, big city, nature などの語には明らかに児童の気持ちが込められているように感じました。児童同士の「対話」は日本語ではあったのですが,発表に気持ちが込められ,発話の仕方にも変化が現れたように感じました。外国語活動の授業でよくみられる‶I want to go to Italy. Because I like spaghetti.” と発話する時のような感じとも異なっていました。

外国語教育における「対話」をとおした「深い学び」は,今回の授業の指導者と児童の間でみられたように,「音声,語彙・表現」の理解がさらに深まるような気付きが起こることが理想だと思います。「英語の授業は英語で」という考えとも合致します。しかし,児童どうしの「対話」から気づきを起こさせるのは,なかなか難しいものがあります。「対話」をとおして「深い学び」に至らせるには,今回のように指導者と児童の対話もふんだんに行いながら,たとえば,「行先はどこにするか,語彙の選択はどうするか」など,立ち止まって考える必要がある場合は,「日本語でもよし」とすることが,深い学びに繋がるのではないかと思いました。(記:2017年7月7日)