日々の記録ブログ(2020年4月1日~)

2020年6月13日(土)「海の見えるカフェ」で検索して出てくるカフェを巡っています。今日は自宅からも近い「mati-cafe」へ行きました。サンエーコンベンションシティの近くです。螺旋状の階段を上がったところにそのカフェがありました。海を見るつもりでしたが,その日は西日が強くブラインドが降りていました。ちょっと残念ですが,この西日の強さでは仕方がないと思いました。おそらくもっと遅い時間になるとブラインドが上がって夕陽が見えることと思います。二人ずれ(女子同士)のお客さんが3組ほどいたのですが,とても静かな時間が流れました。夜は高架橋を走る車の流れと夜景がマッチしてもっとよい雰囲気になるかもしれません。

2020年5月31日(土)緊急事態制限が解除されてから最大限の注意をしつつカフェ巡りを再開しました。今日は夕方から,しかも天気も悪かったのですが,ザ・カリフキッチン沖縄(北谷町字美浜)に行きました。暫く海を見ていたのですが,ラッキーにも雨が上がり雲の隙間からきれいな夕陽が見えました。至福の時間が流れました。

 

2020年5月30日(土)「海の見えるカフェ」巡り2軒目は2月29日に訪れた「ちゅら海カフェかふう」(読谷村真栄田)でした。天気の良い日で絶好のドライブ日和。愛車の日産ティアナから見える海岸も最高でした。今日の目標は当然「海の見えるカフェ」で検索した場所。パンケーキがとてもおいしかったです。カフェと海岸の間に車道があるのが少し残念でした。

 

「海の見えるカフェ」巡り3軒目は3月8日に訪れた「クロワッサンCafeクイニ―」。カーナビを頼りに那覇市首里の住宅街を通り抜けると小高い丘にカフェがありました。東京で仕事をしている息子が久しぶりに帰省したので家族で行きました。自宅から20分で行けるカフェ。眼下には首里に抜ける高速道路。そして,与那原町の向こうには太平表が見えます。静かで,家族で,ゆっくりおしゃべりするには最高の場所でした。若い人たちにはデートスポットとしても最高かもしれません。

  

2020年5月24日(日)昨日は「海の見えるカフェ」巡りの4軒目でした。因みに第1軒目は2月23日に訪れた「浜辺の茶屋」(南城市)でした。ここは,まさに目の前が海です。満潮だとお店のすぐそこまで波が寄せてくるのではないかと思います。オリジナルコーヒーはとても濃くがあって,しかもマグカップで出されたので最高でした。順調に滑り出した第1回目でした。

 

2020年5月23日(土)緊急事態宣言が解除されてから初めての土曜日でした。今年の2月から「海の見えるカフェ」のキーワードで週末のカフェ巡りを試みてきましたがコロナ感染防止のため2ヶ月ほど中止していました。久しぶりのカフェ巡りで今日の午後は北谷町にある「トランジットカフェ」に行きました。カフェにはバルコニー席があって,まさにシールド無しで海を見ることができました。小雨がぱらついていましたがバルコニー席は大変気持ちが良く,いただいたピザもとてもおいしかったです。

 

2020年5月14日(木)第3限目は外国語のzoom講義でした。zoomは双方向が何よりの長所なのですが,学生のほうからはほとんど質問やコメントがありません。この状況は何とかしないといけないと思っています。

2020年5月12日(火)第3限目と4限目に初等外国語教育法のzoom授業がありました。ズームも慣れてきましたが,なんだか目が霞むようになりました。

2020年5月11日(月)朝1限目に外国語活動Ⅰのzoom授業がありました。いかにも起きたばかりという学生の姿もみられました。

2020年5月8日(金)今日は外出自粛の期間ではありましたが,持病の治療のため,連休前に病院へ電話をしたところ,診察が必要とのことでしたので,午前中,最大限の防御をして病院へ行きました。病院はいつもよりは人が少ない感じでしたが,徹底したコロナアウイルス感染対策がなされていました。そこで順番を待っている時の事です。この病院には外国人の患者も多いのですが,今日も80才ぐらいの外国人が車いすで来ていました。この車いすの外国人が一瞬車いすをバックさせたので,後ろのうちなーんちゅ(沖縄の人)にぶつかってしまったのです。うちなーんちゅも,その外国人と同じくらいの80才前後でした。Oh!, I’m sorry! という外国人に対して,そのうちなーんちゅの女性は,間髪を入れずに,しかもネイティブと聞き間違うぐらいの素晴らしい発音で That’s OK. I’m fine. と答えたのでした。終戦直後から米軍基地の中で働いてきた方なのだろうと想像しました。その後,隣にいる娘さんとは流暢な方言で,また,看護師さんとは,これまた流暢な日本語で会話をしていました。ずっと海外に住んでいたわけではなく,基地の中では英語を,必要に応じては日本語,家に帰ればうちなー口(沖縄語)をずっと使い続けていたのでしょう。明らかに海外に長期間住んでいて沖縄に戻ってきた人とは異なりました。 それぞれの言語や,その背景にある文化を生涯をかけて体験してきたのでしょう。まさしくグローバル人材のモデルではないかと思いました。もう白髪で覆われたおばあさんです。でも,彼女からは,オーラのようなものが出ていたことは言うまでもありませんでした。

2020年5月7日(木)この連休中に『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』(フレイディみかこ)を読みました。ノンフィクション本大賞を受賞した本でもあるので多くの人がこの本を読んだと思います。本の内容については言及しませんが,私はその本をとおしてイギリスには「ドラマ(演劇)」のクラスが,普通の教科としてカリキュラムに位置付けられていることを知りました。それは,みんなが役者になるためのクラスというより「表現力」を学ぶクラスのようです。また,英国の幼稚園などでは演劇的な指導を取り入れているそうです。怒った顔,悲しい顔などを見せ,例えば怒りを感じている時は怒った顔になることなどを教えているそうです。そうすると顔の表情と気持ちはリンクしていることが分かっていくそうです。私は素晴らしいと思いました。コロナウイルスの感染拡大が話題になってからテレビでは専門家会議のメンバーの先生方が説明する場面が何度もありました。素晴らしい頭脳をもった方々と思います。しかし,顔はマスクで覆っているのでよくわかりませんが,ほぼ無表情で話しています。そして,その人の気持ちが全く伝わってきません。日本もドラマのクラスを導入する必要があるのではないかと強く感じました。ちなみに,私は米国留学中に「演劇」のクラスを取りました。学生は役者になるためではなく,おそらく「表現力」を磨くために,そのクラスを受講したいたのだと今頃になって気付きました。私が「演劇」を取った理由は密かに Drama writer を志していたからでした。

2020年4月30日(木)今週は月曜日に1コマ,火曜日に2コマ,そして本日1コマのZoomでの講義がありました。私も学生もだんだんzoomでの講義に慣れてきました。講義が終わると画面に表れていた学生の姿が,少しずつ消えていきます。なんだか寂しい気持ちに襲われます。学生どうしも,そのような気持ちになるらしく,最後はお互いの元気を確認し合う場ともなりました。画面上であってもお互いに声を掛け合うことは,やはり素晴らしいことだと思いました。しばらく講義から退出していく学生の姿を見ていたのですが,最後まで残った学生がいました。そこで,ちょっとした個人的な話をしました。短い間でしたが,人と会話をすることは,心がなごみます。琉球大学の学生は半分以上が他府県からの学生です。一人でいる学生のことを考えると心配になります。いつも誰かと繋がっていることを願うばかりです。

2020年4月23日(木)本日からZoomの講義を始めました。いろいろと不具合もありました。でも,きっとうまくいきそうな気がしています。今回の遠隔授業は学生に「自分で学ぶ力(自立した学習者)」がついているかどうかが試されているような気もしました。メールでのやりとりも多くなり,対面授業よりも時間がかかりますが,楽しみでもあります。

2020年4月19日(日)日本政府のコロナ対策の遅れが批判されています。今朝のサンデーモーニングでは,韓国などで上手くいっている方法をなぜもっと早く日本も取り入れることができなかったのかという話になりました。関口キャスターのコメントは「政権側に謙虚さがなかったからではないか」というものでした。つまり,「他の国から学ぼう」という謙虚な姿勢が,今回の件に限らず,現政権にはなかったということでした。私自身はこれまで多くの現場の先生方と共同研究や授業研究などを行ってきました。その経験を通して感じるのは謙虚な人ほど伸びていくということです。それは決して自分の考えを持っていないということではありません。むしろ謙虚な人ほど自分自身の考えを持っているというのが私の実感です。力を付けていくのはいいことですが,いつの間にか,他人の授業を批判ばかりする人,自分ならこうすると豪語する人,他の授業者の授業は腕を組んで壁にもたれて観ている人になっていきます。そして,最後は,自分を誰も評価してくれないと文句を言い始めます。本当に残念だことだと思います。実際,謙虚さを失わなければ,周りの人はもっと助言もして,もっと伸びる機会を用意するはずです。謙虚さを失わない人は伸び続けていますし,みんなから好かれています。そのような先生が,実は,私の周りには多いです。幸いなことだと思います。もちろん私も謙虚さを失わないようにしたいと思います。そして多くの先生方と謙虚に学び合いたいと思っています。

2020年4月18日(土)中学校の国語の時間に「奥の細道」の序文を暗記させられました。「月日は百代の過客にして,行きかふ年も又旅人也。船の上に生涯をうかべ,馬の口とらへて老いを迎ふる者は,日々旅にして旅を栖とす。」ほとんどの人が,この序文を暗記させられたことと思います。なぜか,今日は,この序文が私の頭をぐるぐる回り始めました。再び,この序文をネットで調べて読んでみると,中学生の時には感じることのできなかった感情が湧いてきました。後半は「春立てる霞の空に 白川の関越えんと,そぞろ神の物につきて心を狂わせ,道祖神の招きにあひて取るもの手につかず。股引の破れをつづり,笠の緒つけかへて,三里に灸するより,松島の月先心にかかりて,住める方は人に譲り,杉風が別墅に移るに,・・・」そして松尾芭蕉は旅に出ます。なんと,その時の年齢が45歳です。人生50年の時代だと考えると今の私の年齢ぐらいということになります。老齢になって,なお旅に出て自分を磨こうとするわけですから驚きです。私は退職の齢になっても,まだ,何もわかっていません。芭蕉にならってもう少し勉強してみたいと思いました。

2020年4月15日(水)昨年のことです。私がかって勤めていた学校の退職した先生方の懇親会がありました。かつての同僚が集い,昔話に花を咲かせます。そこでは各自近況の報告があって私の番が回ってきました。私は「仕事が趣味で生きてきましたが,いよいよ今年度で退職です・・・」と挨拶を始めました。するとすかさず「嘘だろ。仕事が趣味な人はいないよ」というヤジが飛びました。かなりお酒も入っていたからだと思います。しかし,私はかなりショックでした。私自身は,もちろん仕事がつらいと思うことがなかったわけではありませんが,「仕事は趣味」と言ってもいいぐらいに楽しいものでした。大学での講義も楽しかったし,現場に出かけて行って授業を参観することも好きでした。また,研修会や,学外でのプロジェクトなどに関わることも嫌いではありませんでした。退職して,どうして仕事が趣味のように思えたのか考えてみると,研究が好きだったこともあるかもしれませんが,仕事が終わった時の「ありがとう」の一言があったからかもしれません。人は自分のためだけに生きていくことはできず,なにかしら社会や人のために役立っていると感じる時ほど「生きがい」を感じることはありません。また,チームで苦しい思いをしながら原稿を書いたり,プロジェクトを練ったり,実際に研修を行ったりして得られる充実感とチーム感(?)は,やはり最高でした。人の人生は人それぞれだと思います。それでまったく構わないと思います。でも,私に「嘘だろ」とヤジを飛ばした先生は,どのような気持ちで教壇に立っていたのだろうと思いました。私は身体には無理をさせてしまったのですが,自分の好きなことを仕事として与えられたことは幸いだったと思っています。

2020年4月14日(火)退職したと言っても,4つの原稿と2つの編集作業があり,なかなか休めない日々が続いています。でも,少しずつ完成していくのを感じて,今日は嬉しい気持ちになりました。

2020年4月1日(水)昨日,16年間お世話になった琉球大学を退職しました。退職にあたり「おめでとう!」の祝意を多くの方々から頂戴致しました。「退職おめでとう!」と言われてなんでおめでたいのかよくわかりませんでしたが,考えてみると,定年まで勤められたということは本当におめでたいことであったと今日になって初めて分かったような気がしました。