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「主体的・対話的で深い学び」に向けた授業改善 

2018年8月5日 - 10:14 PM

「主体的・対話的で深い学び」に向けた授業改善

改訂された学習指導要領では「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」の実現に向けた授業改善が求められています。アクティブ・ラーニングは,ここ数年,教育界を席巻するキーワードとなっています。教育現場での実践も蓄積されつつあります。けっして目新しいものではありません。

筆者も,中学校や高等学校の英語の授業で,アクティブ・ラーニングの授業を参観する機会が何度かありました。グループで教材を読み解いていく活動をとおして,深い学びに至る活動は,従来型の一方的な講義型では見られないほど,生徒が意欲的になっており,かつ,学びの質も深いものになっています。素晴らしいと思います。

一方で,グループ内での「対話」が日本語になっており,読解した教材の感想も日本語での発表になっていることがあります。確かに,読み取りは深くなっています。感想の中身も深いものがあります。しかし,果たして,英語の「運用力」は高まるだろうか,と疑問に思います。

中教審答申では「対話的な学び」の視点として,「コミュニケーションを行う目的・場面・状況に応じて言語活動を行う学習場面を計画的に設けることが考えられる」とあります。つまり,言語活動をとおして,英語の音声や語彙,表現などを実際のコミュニケーションにおいて活用できことが「対話的な学び」の一側面であることがわかります。また,「深い学び」の視点として,「学習内容を深く理解し,資質・能力に示す力が総合的に活用・発揮されるようにすること」と説明しています。そしてそのためには,「コミュニケーションを行う目的・場面・状況等に応じた言語活動を効果的に設計することが重要である」としています。換言すると,対話的な学びも,深い学びも,コミュニケーション活動をとおして育まれるものであるということです。グループで,英文を日本語に訳する活動を行い,たとえ深く理解したとしても,それが,コミュニケーション能力に繋がるものでないなら,それは「アウト」ということになります。

もちろん,従来の英語教育においても,情報ギャップを利用したペア活動などの言語活動が行われていました。しかし,それが深い学びに繋がっていったかというとそれも疑問です。「深い学び」は単なる情報の交換を越えて,学習者に学びの質の深まりを起こさせるものでなければなりません。

さて,英語の語彙や表現力が限られている児童に,英語での「対話」をとおして,深い学びに至らせることは可能でしょうか。6月17日~18日にわたって開催された日本児童英語教育学会全国大会で公開された西原美幸先生(広島大学附属小学校)の授業に,「対話的な学び」のヒントが隠されているように思います。授業は全て英語で行われたんおですが,指導者と児童の間でこんな「対話」が交わされました。

T: I like winter.

S: Why do you like winter?

T: Because winter is my birthday.

S: Oh, your birthday is in winter. In January or February?

T: In December.

児童の発話に対して,指導者は様々な質問を投げかけて「対話」を深めていきました。また,児童の‶Because winter is my birthday.”の答えに対し,指導者は‶Your birthday is in winter.” とrecast(言い直し)しています。この授業では,教師が,何度もrecast を行いました。そして,指導者との対話によって,児童に気付きが起こり,学びが深まっていきました。事実,その後の児童の発話には,‶My birthday is in summer.” などと修正された発話が見られました。これこそ「対話」による深い学びと感じました。

児童同士の対話の場面では修学旅行の行先を決める場面がありました。修学旅行の行先としてどこがよいかを決めさせたのです。そして,決める際には,学年でとったアンケート(自然体験を希望する人,都会へ行きたい人などの割合)をもとに話合いをしました。そこでの「対話」は日本語でしたが,日本語での「対話」を基に,児童は「自分が行きたい場所」を言うのではなく,アンケートを踏まえて「修学旅行の行先としての行きたい場所」を英語で発表しました。児童の発表はこんな感じでした。

‶I think Hokkaido is good. Sapporo is a big city. We can experience a big city. We can enjoy nature in Hokkaido too.”

言いたい事を全て言えたわけではありませんが,HokkaidoやSapporo, big city, nature などの語には明らかに児童の気持ちが込められているように感じました。児童同士の「対話」は日本語ではあったのですが,発表に気持ちが込められ,発話の仕方にも変化が現れたように感じました。外国語活動の授業でよくみられる‶I want to go to Italy. Because I like spaghetti.” と発話する時のような感じとも異なっていました。

外国語教育における「対話」をとおした「深い学び」は,今回の授業の指導者と児童の間でみられたように,「音声,語彙・表現」の理解がさらに深まるような気付きが起こることが理想だと思います。「英語の授業は英語で」という考えとも合致します。しかし,児童どうしの「対話」から気づきを起こさせるのは,なかなか難しいものがあります。「対話」をとおして「深い学び」に至らせるには,今回のように指導者と児童の対話もふんだんに行いながら,たとえば,「行先はどこにするか,語彙の選択はどうするか」など,立ち止まって考える必要がある場合は,「日本語でもよし」とすることが,深い学びに繋がるのではないかと思いました。(記:2017年7月7日)

 

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