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ももやまこども食堂
私の勤務する教育学部には「教職実践研究」という科目があります。教育実習などを終えた4年次の学生たちが,教員になる前に,さらに必要な知識などを学ぶ科目です。英語科教育法や,外国語活動などの講義は,その目的や内容が明確なため,シラバスの作成や講義もさほど難しくはありません。しかし,「学生に不足しているものはなんだろう・・・」と考えてシラバスを作成したり講義をするのは簡単なことではありません。
学生達は,教職体験や教育実習などで,学校で過ごす子どもの姿については何度も目にしてきました。しかし,学校外で過ごす子どもたちのことは知っているだろうか?特に,沖縄においては子どもの貧困が社会問題となっています。
そこで,今日の講義では,沖縄市で「子ども食堂」の活動を行っている鈴木さんを講師に招き講義をしていただきました(ボランティアで)。鈴木さんは,放課後に居場所のない子どもたちの支援を長年にわたって行ってきました。沖縄の子供なら誰しも行ったことがあると思っていた「美ら海水族館」などに行ったことのない子どもが大勢いるという話に衝撃を受けました。家族と夕食が食べれない子どもも多いことがわかりました。
私にとって一番印象に残った言葉は「こどもの声をしっかり聴いてあげることが大切」ということでした。考えてみると,毎日ご馳走のような夕食を食べることができたとしても,自分の声を聴いてくれる人が家族に一人もいなかったとしたら,たとえ立派な家に住んでいても,その子にとっては居場所がありません。鈴木さんの子ども食堂は,もちろん食事の提供もしているのですが,もっと大切なことは,子どもの声(言葉にならない声も含めて)を丁寧に聴いてあげる食堂だということでした。つまり,「身体と心を満たす食堂」だったのです。
食事だけ提供して,子どもの声を聴いてあげない「食堂」ならば,子どもはそのうち行かなくなるでしょう。鈴木さんの話によると,何も話さなかった子どもも,そのうち,いろんなことを話し始めるのだそうです。「自分の居場所がある,自分は認められいる」と感じた子どもは,活動を開始するのですね。
教室の中でも,おそらく同じようなことが起こっているでしょう。自分の存在がクラスのみんなに認められ,クラスに居場所があると感じた子どもは,生き生きと活動するはずです。主体的な学びのあるクラス,そして対話的な学びのあるクラスをつくるには,子どもを受け入れ,子どもの声を聴いてあげる担任の先生が必要なのです。
担任のことは,英語でHomeroom Teacherと言います。Home(家)とroom (部屋)が組み合わさっています。学生たちがHomeroom teacher となって,教室を家のようにあたたかく,そして,子どもの身体と心を満たすroomに創っていくことを期待したいと思います。